コラム
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2018/11/27
1733    突然の別れ

平成30年11月12日の月曜日。まさか、こんな日が来るとは思いもいませんでした。突然の別れがこんなにあっけなくて、決して言葉にならないものだと感じました。午後4時19分、母親の友人のYさんから電話が入りました。

「お母さん。土曜日から携帯に電話して出ないのだけれど、どうかしましたか。雨戸も閉まっています」という電話でした。

僕は有田市から海南市を和歌山市へ向いて走行している時だったので、実家に急いで行こうとしました。気になったので母親の弟である叔父さんに電話をして「お母さんの様子を見に行って欲しい」と依頼したところ、「鍵をあけて見てくる」と行動を起こしてくれました。

叔父さんが母の家に入った時、「ベッドの上で身体が冷たくなっている。直ぐに来て」と連絡が入りました。それから約10分後、実家に入るとベッドの上の母の姿が飛び込んできました。手を握ると冷たくなっていて、覚悟をしなければならないと直感しましたが、「でも大丈夫、起きてくれる」と思い、電話口から聞こえてくる消防署の人の指示により心臓マッサージを続けました。でも目を覚ます気配がなく起きてくれませんでした。

心臓マッサージをしている時から涙がこぼれてどうしようもありませんでした。消防署員が駆け付けてくれた時、「もう硬直しているので死後時間が経っていると思います」という宣告を受けましたが、それでも信じられませんでした。「こんなことがあるはずはない」と思いながらも、「もしかしたらこの現実は現実かな」と思いました。

消防署でできることはないので続けて警察が来てくれました。警察の仕事は検死なので、母親はもう生きていないことが分かりました。言葉で話そうとすると涙で言葉にならないのです。続いて医師が来て「虚血性心疾患」による死亡と話がありました。トイレを見たところ、嘔吐した形跡があり、ベッドからトイレに行く途中、玄関にも嘔吐の跡がありました。

胸の痛みがあり「しんどかったのかな」と思うと、「しんどい時にいられなくてごめんなさい」という気持ちになり、もう普通ではいられませんでした。

電気毛布はそのままの状態だったので身体は温かかったのですが、電気毛布に触れていない手と顔は冷たくなっているのです。

最後に母親と会ったのは先週11月7日の水曜日でした。視察から帰って実家に立ち寄ったのです。その時、視察の途中から胃が痛み始めたので胃薬をもらいに行ったのです。処方してもらっていた胃薬と風邪薬をもらって飲みました。「心配しなくても大丈夫」と言いましたが、母親は心配そうに「無理をしないように」と笑顔で話してくれました。1週間分も胃薬をくれたので「こんなにいらないよ。お母さんの分がなくなるから、1日あれば治っているから」と答えたのですが、「薬はまだあるから持って行って」と全部いただいたのです。

そして用意してくれていた夕食は「胃が痛いから今日はいらない」と断ってしまったのです。これが最後の夕食になるから胃が痛くても食べておけば良かったと後悔しています。母親は僕のために、食事を作って待ってくれていたのです。本当に残念で、母親が作ってくれた食事を食べないという親不孝なことをしてしまいました。