コラム
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2018/11/22
1731    母の存在

平成30年3月20日、火曜日、母が高熱のためお医者さんに行きましたが、原因が分からないため尿や血液の検査を行いました。様子を見に実家に行きましたが、いつものように元気に迎えてくれるのではなくて、ベッドに寝たままの姿だったので驚きました。体は丈夫で寝込んだ姿を見た記憶がないぐらいなので、驚きました。誰でも同じですが寝込んだ姿はどうしても弱々しく見えてしまいます。

16時、体温計は38.2度を指していたので熱は下がっていませんでした。というよりも昨夜は38.5度の発熱があり、お医者さんに行って「とんぷく薬」を飲んだため、一時熱は下がったのですが時間の経過と共に熱が上がってきたように思います。

母はベッドに寝ていたため、いつも母がいるテレビの部屋を眺めましたが、普段と様子が違うので違和感がありました。家には主が必要ですし、部屋にいるべき人がいないと寂しさばかりです。大事な人がいてこそ家だと思います。日曜日の午後から「熱が出てきた」と言うように、日曜日から火曜日までの3日間、テーブルなどの整理をしていないことが分かりました。人がいないと使ってくれないのでモノは寂しそうです。

コタツの下に手帳がありました。手帳の間にボールペンを挟んでいるので「何だろう」と開いてみると、毎日、血圧を測定した結果を記録しているのです。記録は3月18日の日曜日までだったので、19日の月曜日と20日の火曜日は熱で動けないことが分かりました。少々の風邪や熱で寝込まない母ですから、今回は余程、熱が高くて動けないことも分かり、心配が増してきました。

ベッドに戻り「悪寒はしない」、「熱は」と聞くのですが、寒くて布団に包まっているので、「あまり話し掛けない方が良いかな」と思い留まります。こんなことは過去になかったように思います。今更ながら母は健康で丈夫で、子ども達に安心を与えてくれていたことが分かります。母が寝込むと心配が膨らみますから、こんなことがなかった過去に感謝したくなりましたし、早く回復して欲しいと強く、強く願いました。

仏壇の亡父にお線香を供え、「おかあさんを守って下さい」と祈りました。微笑んでいる父に声が届いているのでしょうか。

20日の火曜日、診察した結果からは「風邪でもなく原因が分からない」ということで薬も処方されていないことも心配です。

実家に行くお昼でも夜でも、いつも「食べて行く」と聞いてくれるのですが、今日はありませんでした。食事の後に牛乳がいっぱい入ったコーヒーとデザートを出してくれるのですが、それもありませんでした。何という寂しさなのでしょうか。当たり前のように迎えてくれる母。子どもの頃から変わらない笑顔と言葉で迎えてくれている母。そんな母の優しさと温かさを今更ながら思います。

今日、口にした「もう年だからかな」という弱気な言葉。最近聞いて寂しく思った「朝、ゆっくり起きています。早く起きてもやることないから」の言葉。働き者で早起きの母から、こんな言葉を聞くとは思っていなかったので「あれっ」と心配したのですが、その後、高熱が出て寝込むことになりました。一日でも、一時間でも一分でも早く回復して欲しいと祈るばかりです。母の存在が余りにも大きいことに気付いた日でした。