コラム
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2018/11/21
1730    年金

何歳になっても母は僕を子どもだと思っているようです。JAの担当の人の勧めがあり、「自分が死亡した時に子どもに掛け金が支払われる年金があるので、それに加入したから。私が死んだ時は、それを受け取って下さい。弟にも受け取ってもらえるよう、二人分加入しています」と話してくれました。これも平成30年3月11日のことです。

この話を聞いて僕は「今更、年金なんて入らなくて良いのに」と答えました。これまでずっと苦労してきた分、これからは自分のためにお金を使って欲しいという思いからです。それなのに貯めてきたお金を自分で使わないで、子どもに残そうとしてくれているのです。母にとって決して小さくないお金ですから、欲しいものも買わないで、行きたいところにも行かないで、質素な生活をして「お金を使わないで貯金をしてきた」と思います。

「年金の証書はここになおしておくので、覚えておいて下さい。忘れていても私が死んだらJAさんが支払ってくれるので受け取って下さい」と話してくれたのですが、お金と母を比較することなんてできません。絶対に年金のお金を受け取る日なんて来て欲しくありません。

母には本当に頭が下がりますし、思いやりがあり優しい母だと思います。母の人生は我慢の人生だったと思いますから、その我慢強さが人の優しさや思いやりへとつながっていると思います。自分のことは後回しにして、まずは人のために尽くす。それが若い頃からの母の生き方です。そして自分はどんなに苦労をしても「子どもには絶対に苦労はさせない」。そんな人生を過ごしてきた母を誇りに思います。

僕が高校三年生の5月の時、父の勤めていた会社が倒産しました。給料どころか退職金も出なくて、母は相当困っていたと思います。「倒産するような事態になっているなんて一言も聞いていなかった」と僕に話してくれたことを、ふと思い出しました。その時、母の手には「会社が危ないことを通告する会社からの通知文」があったように思います。高校生だった僕でも「明日からどうしていくんだろう」と、生活が危ない状態にあることを感じた程でした。進路を決める大切な時期ですから、「もう進学は出来ないな」と思いました。

それでもその困難を乗り越えられたのは、母の相当の頑張りがあったと思います。内職を復活させ、懸命に仕事をしたと思います。内職はどれだけしても、家計が潤うようなお金にならなかったと思いますが、それでも自分のためではなくて、高校生だった僕と小学生だった弟のために働いてくれたと思います。

母は中学生の時、母親を亡くしたので、「二人の小学生の弟の面倒をみなければならなかった」と言います。15歳の女の子が、二人の弟の面倒をみることがどれだけ大変なことだったのでしょうか。中学校を卒業した後、ミシン工場の見習いに働きに出て、弟達を養っていたのですから、どんな苦労をしたのでしょうか。

稼いだお金は自分で使うことなく、全て生活と弟達のために使ったと思います。やりたいことがいっぱいあった10代後半から20歳代を弟達のために時間を費やしたのです。

母の近くにいる弟は今でも「敏ちゃん」と言って姉のことを慕っています。母の弟が近くにいるので僕は安心できているので、ずっと健康で元気に、そして仲良く過ごして欲しいと思うばかりです。

こんな母に育てられてきたことが誇りだと思っています。