コラム
コラム
2018/1/10
1696    熱意

熱意に溢れた教育者の話です。熱意を持って言葉で伝えると、その話を聞いた人は熱意に感化され、例え少しの時間の間だけでも行動に移せる人になれるのです。

でも時には、熱意を持って話してくれる人のことを「面倒くさい」だとか「そんなこと出来るわけない」と思う人がいます。思うだけなら良いのですが、中には「おもしろくない熱意に火を消そう」と思う人がいるものです。熱意を持って発言、行動している人に対して、否定して言いまわる人がいるのです。

その否定の波が広がると、やがて熱意を持って行動している人の熱意の火を消してしまうことになるのです。

しかし火を消したところで現状は何も変わりません。しかし何も変わらないことだから「熱意は不必要だった」とはならないのです。熱意は今を変える行動ではなくて、未来を変えるための行動だからです。変えられた筈の未来を変えることができなくなる。それが熱意の火を消すことの怖さです。現状は何も変わらないから、熱意を否定する人がいますが、熱意を否定してしまうと未来を変えられない事態になっているのです。あるべき筈だった未来がなくなり、退屈な今の延長線上の未来が待つことになります。

それで良いのでしょうか。良い筈はありません。未来を変えたいのであれば、周囲にいる熱意のある人の言葉を聞き、少なくともその行動の邪魔をしないことです。熱意こそ未来を変えるものであり、熱意を持って行動している人を支持することで、少なくとも周囲は変わっていくのです。

批判されても、否定されても熱意を持ち続けて周囲を変えられる人は少ないと思います。自分が熱意を持ち続けられるタイプの人であればグッドなのですが、そうでなければ熱意を持って行動している人と共に行動することを考える方が、良い未来が待っています。

熱意を持って行動している人を否定することは自分の未来も否定しているようなものです。熱意を持って行動している人を批判する人は、批判ばかりしている人という評判を得ることになります。

教育者は言いました。「あの時、私の気持ちは伝わったと思います」と。この言葉の前段、この教育者は同じ教育者の前で話をしたのです。そこで熱意を持って「今の教育を変えて行こう。学校を束ねる力を持って行く」ことに関する言葉を発しました。一部の教育者は自分を否定されたように思い、その教育者の熱意の火を消そうとしました。

ある時、その時の言葉と行動を否定されました。その時に「あの時、私の気持ちは伝わったと思います」と自分の言動は誤りでなかったことを公の場で表明したのです。

自信を持って、勇気を持って、そして熱意を持って話した言葉にはそれからの思いが込められていて凄いものでした。否定の意見に対して一歩も引くことなく、むしろ堂々と自分の思いを主張したのです。

さらに凄いと思ったのは次の言葉です。

「そのことは成果があるに決まっています。私がやっているんだから」。

自分の行動に責任を持ち、逃げも隠れもしない強さを感じるものでした。この教育者の言葉を否定した人は自分が同じ土俵に立ち持論を主張したのではなく、その場は黙っているだけで、この時に録音したデータを後に立場のある人に渡るように仕向け、公の場で追い詰めようとしていたのです。

熱意を持って言葉を発し行動している人と、言われたことを否定し隠れて行動する人のどちらが格好良いと思いますか。絶対に格好の良い人になりたいと思います。