平成29年9月23日、お彼岸の日にお亡くなりになった方がいます。お亡くなりになったことの連絡をいただきお悔みに行きました。
この方は三カ月の闘病生活の末、お亡くなりになったのですが、入院、手術をしてくれた病院のベッドで「片桐さんには本当にお世話になりました。やってくれたことに感謝しています」と生前、話してくれていたことを聞かせてもらいました。
この話はご遺族の方から聞かせてもらいました。子どもからは「父は片桐さんに本当に感謝していました。私の無理を聞いてくれ、こんなにまでしてくれたことに感謝するばかりです。父も入院した後の治療に後悔はないと話していました。それもこれも片桐さんのお蔭です」と話してくれました。
また母親からも「片桐さんには感謝するばかりです。こんなにしてくれてありがとうございます」と伝えてくれました。また伯母さんからも「兄は最後まで片桐さんに感謝していると言っていました。苦しい闘病生活でしたが、片桐さんのお蔭で最後まで戦い抜けたと思います」と言葉をいただきました。
お亡くなりになったことは悲しいことですが、こんなに感謝の言葉をいただけることは嬉しいことだと思いました。
只でさえ苦しい手術、厳しい闘病生活の最中、僕のことをご家族に話してくれていたことを知り、「もっとできることがあったのでは」と思いました。どんなことでも、結果が出てから思い返すことがあります。そんな時、「もっとやれることがあったのでは」、「やっておけば良かった」などの心の声が聞こえてきます。心の声が聞こえてくる時は、「まだまだやれることがあった」と思う気持ちがあるからです。
その時は「やれることをやった」と思うのですが、思うような結果にならなかった時に、「もっとやれることがあった」と思うのです。
今回も「もっと命は続く」と思っていたこともあります。厳しい手術でしたが成功していましたし、手術後の経過も順調だっただけに残念な気持ちになりました。やれることをやって後悔のないようにしたいと思っていたのですが、残念な報告を受け「まだまだ足りなかった」と思っていたのですが、お悔みの時にご遺族から、「片桐さんには本当に感謝をしています」と話してくれていたことを聞き、残念な気持ちは変わりませんが、嬉しい気持ちも出てきました。
「亡くなる直前に、感謝の気持ちを持ってくれていた」ことを知ったからです。人が感謝の気持ちを持つ時は「結果がどうあれ、やれることはやれた」と思う時です。故人が「苦しい闘病生活だったけれど、多くの人の助けを借りてここまでやって来られた。やれることをやったので後悔はない」と思ってくれていたことを感じました。
「感謝の気持ちを持ちながら亡くなる」。死の直前まで、そう思ってくれていたことを嬉しく思いました。
最後に「立ち直れるかどうか分かりませんが、片桐さんの励ましが支えになっています」とご遺族の方が伝えてくれました。
後悔のない人生を過ごしたい。そう思えるお悔みでした。