コラム
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2016/10/11
1666    過ぎ去るものの大切さ

幸せな食事会がありました。テレビでは、リオオリンピックのレスリング決勝で吉田沙保里選手が銀メダルだったことの報道番組が流れる中、夏らしい食事を楽しみました。何度観ても、感動する吉田選手の戦った決勝戦ですが、親しい方と食事をしながら夏のひと時を楽しみました。優しさの溢れる食事会はたくさんのものを受け取ることが出来ます。

おいしい食事。楽しい会話。幸せな時間。かけがえのない時間。そんな大切なものが詰まっています。これまでも当たり前のようにあった時間は、当たり前過ぎて何も感じなかったか、ずっとこんな時が続くと思っていたから、時間の持つ価値に気付かなかったと思います。

時間とは川とよく似ています。同じ流れを毎日見ていますから、何も変わっていないように思います。そう川はただ流れているだけ。しかし同じ流れはありませんし、同じ水が流れることはありません。毎日見ている流れや光景は、その瞬間だけのものですから、二度と同じ流れはありません。絶えず上流の水源から水が供給されているから、川の流れの違いが分からないのです。

同じような流れがあり見えないけれど、多くの恩恵を受けていることに気付かないまま時は過ぎていきます。でも水量が減少し水位が低下すると川の異変に気づきます。「おかしいなぁ。元に戻さなくては」などと思います。そこで水の大切さや有り難さを感じることになるのです。

絶えない川の流れは決して同じものではないことを知ることになります。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という古典「方丈記」の一文にあるように、永遠のものはないことを知るのです。

時間も全く同じです。永遠に続くように思っている時間も、この時に訪れるだけの一瞬の連続です。同じ時は繰り返すことはありません。今年の夏と来年の夏は同じ時間ではありません。人は確実に一歳の年を重ねていますから、同じ時を過ごすことはできないのです。

この時は二度と訪れることはない。そう気づいた時、その時間はとても大切なものになっているのです。

平成28年8月。リオオリンピックでレスリングフリースタイル女子53kg級吉田沙保里選手が銀メダルを取り、女子バドミントンダブルスで高橋・松友ペアが金メダルを取り、レスリングフリースタイル女子63kg級で川井梨紗子選手が金メダルを取ったことを報道していた今日。時間が永遠ではない限り、幸せな食事会をしていたことを想い出す時がいつか訪れると思います。

昭和39年の東京オリンピックの時の話も出ましたが、その時、僕は3歳でした。平成28年のリオオリンピックの夏は54歳。そして平成32年、2020年の東京オリンピックの時は58歳になっています。4年に一度巡ってくるオリンピックがありますが、やはり同じ時ではありません。

でも生を受けて過ごしているこの時は、一瞬の場面を刻んでいますから尊いのです。幸せな時の価値に気付いた人は、世の中で繰り返し発生する雑音に心を痛ませるようなことはしません。心を傷つける毒よりも、心を豊かにしてくれる時間を大切に思うのです。一瞬で過ぎ去るけれど幸せな時を感じる人が、幸せな人生を歩くように思います。