コラム
コラム
2016/10/31
1667    玉置神社

奈良県十津川村にある玉置神社は特別な神社だと思っています。それは29歳の時に初めてこの地を訪れたのですが、その時「あなたは選ばれた人ですね。ここに来ることができたのですから。ご縁がなければ来たくても来られない人はたくさんいるのですよ」と言われたことを覚えています。

その時、「玉置山は生きていますから、来て欲しくない人が山道を走っている時は落石をさせたり雨を降らせたりして入山を断ります」とも話してくれました。

境内には3000年の生を受けている神代杉や夫婦杉があり迎えてくれました。「3000年も生きている杉ですよ。触ってみて下さい。息遣いが感じられるでしょう」と話してくれたことを思い出しました。そこで杉の皮に触れてみると、しっとりとした温かさを感じることができました。この温かさが自然や人に受け入れられて、これまで生きてきたように感じます。

もう一つ思い出したことがあります。玉置神社の境内に座り「砂を掴んでみて下さい。掴んだら、別の場所にある砂を掴んで下さい」と話してくれました。「砂を掴んでいては別の砂を掴めませんが」と答えると、「そうでしょう。人生で何かを得ようと思ったら、いま持っているものを手放す必要があります。自分一人でたくさんのモノを得ることは出来ないので、新しいモノを欲しいと思ったら、自分か持っているものを人に分け与えることです。手を放すことで新しいものを手に入れることができます」と答えてくれました。

このように人生とは選択の連続で、得たものは人に渡すことで新しいモノを得ることができるものなのです。たくさんのモノを抱えていては新しい動きをすることができないのです。その時、玉置神社に招いてくれた先輩方から、人生の心得を教えてもらいました。

今は自分が伝える番になっています。自分が得たモノを人に分けること、伝えることがこの年齢である自分の役割になっています。

同じことを伝えたいと思います。「玉置神社に来ることかできるのはご縁のある人だけですから」、「来たくても来ることが出来ない人がいます。ここに来ることができるのは何かの役割を与えられている人です」、「3000年生きた杉に触れてみて下さい。人生は短くて、ちっぽけなものだと知ることができます。だから与えられた短い命を人のため社会のため、地球のために使う必要があるのです」などの話です。いつしか人生の先輩になっている僕にできることは、人生から学んだことを伝えることです。

玉置神社があるから紀伊半島は守られています。玉置神社は日本の臍となる重要な場所です。玉置神社から北に一直線の場所に平城京、平安京が都として定められた歴史があります。東の一直線上には伊勢神宮と富士山があります。西に直線を伸ばすと出雲大社があります。この配置は偶然ではなくて、玉置神社が日本の中心であり、全ての活動の源は玉置神社にあることを示しています。ここを訪ねられることは幸運なことであり、選ばれた人であるという言い伝えは本当のことだと思います。

ナビで玉置神社を目的地に設定したところ、串本町から到着予定まで約4時間と表示されました。「そんなに遠かったかな。行けるかな」と思いましたが車を走らせました。そうしたところ約2時間で到着しました。「もしかしたら玉置神社の神様が、ここに来るのを諦めるかどうかを試していたのかも」と思い微笑みたくなりました。玉置神社では「諦めないで来ました」と報告させてもらいました。諦めないで来ることが出来たのですから、玉置神社から選ばれていると思っています。