コラム
コラム
2016/8/22
1659    お墓参り

平成28年8月13日。とても暑いこの午後、母親方のお墓参りに行ってきました。お盆入りの日であり、この暑さで花が枯れていることもあり行ってきました。水を入れてお花を添えました。夏の暑さにバテていたお墓にお水とお花を供えると、お墓が生き返ったように感じました。

父の死以降、お墓の前で会話を交わすことができるようになっています。今日も先祖との会話を楽しみ、ひとつだけお願いをしてきました。

「この世で生きていることは素晴らしいことです。命を与えてくれて、この世に生んでくれてありがとうございます」と話をすると、「この世を良くすることがあなたの使命ですから」と答えてくれました。

「はい。この世を良くするための仕事に携われていることは素晴らしいことです。こんな素晴らしい役割を授けてくれたことに感謝しています」と返しました。

「それが分かっているなら安心しました」と笑顔が溢れるような声で話してくれました。

続けて「お母さんは数日前から夏風邪にかかっています。早く治して下さい。そしてお母さんを守ってくださいね」とお願いすると、微笑む気配を漂わせながら、「分かっていますよ」と優しく答えてくれました。

「おじいさんとおばあさんが遠い昔に母を生んでくれました。そして母は僕を生んでくれました。現在、生きて素晴らしい活動をさせてもらっていること。素晴らしい光景を見せてもらっていること。全てはあなた達のお蔭です。あなたの子どもである母が僕を生んでくれたから、この美しい世を見せてもらえています」と伝えたところ、やっぱりお墓が微笑んでいる気配がしました。

今の命は先祖が与えてくれたものであり、先祖と母が守ってくれているものだと感じました。生きているのではなくて「生かさせている」と表現することがありますが、先祖がこの世に送り出してくれて、使命を与えそれをやり遂げるように生かしてくれているという感じがしました。

会話を通じて分かることは、この世にいない人達は僕のお願いを聞き入れてくれるということです。話したことを肯定して返事を返してくれるので、とても楽しいのです。先祖との束の間の会話を楽しむことができました。

子どもの時は、母に連れられて行くお墓参りは退屈な儀式だと思っていました。高校生から社会人の頃になると、お墓参りに行かなくなりました。しかし年齢を重ねた現在、お墓参りは先祖に感謝し、先祖との会話を楽しむ機会だと思うようになりました。ここでこの世に生まれた使命を感じることができます。

年齢を重ねることで分かってくることがあります。日常の中で訪れるお彼岸やお盆、年末と年始などの節目は特に、お墓参りを楽しみたいと思います。

お墓参りの帰り道、お寺の掲示板がありました。そこには「今日という日は、これからの人生の最初の一日である」と記されていました。また欄外には「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」と書かれていました。

どちらも教訓として持っておきたい言葉です。