コラム
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2016/4/15
1644    生命保険

とても大切な時間が存在していることを知りました。平成28年4月14日、実家に戻った時のことです。「明日農協さんが来てくれます。生命保険の掛け金を払っているのですが、今年の更新はどうしようかと思っています」と話し掛けてくれました。生命保険の証書を見せてもらうと、平成3年に、母が僕の生命保険に加入してくれていることを知りました。証書を見ると「片桐章浩。29歳」と書かれていますから、今から25年前に存在した時間が止まっているように感じました。29歳の時に生命保険に入り、以降、今日までの25年間、保険金を支払ってくれていたのです。

保険金額は死亡時2,500万円、掛け金は年間約8万円でした。約8万円を25年間支払ってくれていたということは、これまで約200万円を僕のために支払ってくれていたことになります。

僕の年齢が50歳を超えた時点で死亡時の保証額は250万円に減額されていて、年間の支払金額は約4万円になっていました。

母親の生命保険の支払日が明日だったことから生命保険の話になったのですが、「80歳になったので、生命保険に加入できるのは今年が最後となります。私の保険料は支払いますが、秋に章浩の生命保険はどうしようか」という相談でした。その理由は「章浩の生命保険の満期は同じく80歳になっています。25年間掛けて来たので途中でやめるのはもったいないと思いますが、章浩が80歳になるまでは支払えないと思うので(笑)、私は支払える時まで掛けようと思いますが、その後、続けて支払ってくれるのであれば継続します。もし他に生命保険に入っているのであれば、この生命保険は解約しても良いですよ」ということでした。

少ない母の国民年金の支払いの中から毎年、生命保険金を支払ってくれていたのです。しかも25年間もの間です。僕が29歳の時にお守り代わりに生命保険に加入してくれていたのです。実に25年間も僕を見守ってくれていた生命保険があり、見守り続けてくれていた母がいることを知りました。自分一人で生きてきたように思っていましたが、僕のこれからの人生を安全で幸せな人生になるよう導き、見守り続けてくれている母がいました。29歳の時から54歳になるまでの25年間、母の生命保険は僕を見守ってくれていたのです。

29歳の母の子どもである僕は、平成3年という年の中で守られているような気がしました。子どもを想う母の気持ちが深いことを改めて知ることになり、母から見ると僕は「ずっと子どもであり続けているんだな」と思いました。知らないところで母の生命保険は僕を見守ってくれていて、そして安全な道を歩かせてもらっていたように感じました。

約8万円という掛け金は決して小さな金額ではありません。年金受給の中から支払い続けることは大変だったと思います。本当であれば自分のために使うべきお金なのに、僕のお守りのために支払い続けてくれていたのです。

感謝の気持ちという以上の深い愛情を受け取ることができました。海の青よりも深い藍色を思い浮かびました。平成3年の日付のある農協の生命保険の証書は、単なる証書ではなくて大切なお守りに見えました。僕が80歳になるまで「母は支払うことは出来ないから」と話してくれたことを寂しく思いましたが、もし「支払い続けることができたら幸せなこと」だと思いました。平成28年春。80歳の母に感謝しています。