コラム
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2016/3/7
1639    当たり前が嬉しい

平成27年秋に、喉の奥を手術するために歯を抜いた方がいます。喉の奥を手術するに際して歯を抜く必要があり、その結果、手術を行い成功しています。回復は順調ですが、歯がないことから流動食以外に食べられない日が続いていました。

そしてようやく平成28年2月に歯を入れることができました。手術前に話をしたところ、「やっと歯が入るので、これで食べられる」ととても嬉しそうに話してくれました。食べられないことがストレスであることが分かります。そして歯が入ったのですが、固形物を噛むことができないため、楽しみにしていた食事ができなかったそうです。

歯が入ると直ぐに食べられると思って楽しみにしていただけに残念ですが、噛む訓練をすることで食べられるようになるようなので、時間をかけてゆっくり食べられるようになって欲しいと願っています。

ここで気付くことがあります。健康な時は食事をすること、噛むことは当たり前すぎて、気付かない程の動作になっています。噛んでいることは意識しないでも当たり前のように出来ています。ところが歯を抜いて食べられない期間があると、歯を入れても直ぐに噛むことが出来ないことを知りました。

噛むことは当たり前のことではなく、他の生き物の命をいただくための特別なことだったのです。だから命を分け与えてくれたことに感謝しながら命をいただく必要があるのです。命をいただくことは当たり前のことではない。そんなことを感じます。

こんな話を聞かせてもらいました。ある人が食事を終えた後、お店の人に「ありがとう」と伝えました。一緒にいた人が「食事をしてお金を支払っているのに、あなたは何故、ありがとうと言うのですか。お店の人にありがとうと言ってもらうべきだと思いますが」と尋ねたそうです。

その人は答えました。「あなたはお金を食べているようですね。私は命をいただいているのです」。

食事をして「ご馳走様でした」、「ありがとう」と言うのは、尊い命をいただいて生かしてもらっているからです。人が食べている肉も野菜も、もとは命のある生き物だったのです。その命を人間のために差し出してくれているから、人は生きられるのです。他の生命体の命をいただかないことには人は生きていけないのです。

食べるということは命をいただいている大切なことであり、食後に感謝の言葉を添えるべき行為だと思います。「あなたの命をいただいたお蔭で生きています。ご馳走様でした」と言うべきでしょうか。

人は多くの命を受け取って生きている。ですから生きるために食事をすることは、当たり前のことではありません。噛むたびに感謝の気持ちを感じることができる。噛むことが当たり前の行為ではない話から、そんなことを思いました。

やはり人は生かされている。生かされているということは役割があるからであって、命の与えられている限り、その役割を果たすことが生きることだと思います。

生きているだけで素晴らしいことですが、もし自分の役割を意識して、少しでも命の恩返しができるなら、もっと素晴らしいことだと思います。