コラム
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2015/5/25
1592    異次元

バイオリニストの北島佳奈さんの演奏を初めて聴きました。心を揺さぶる演奏で感動体験をすることができました。平成27年、北島さんは谷川俊太郎さんの詩を基に「生きる」をテーマに全国の子ども達に命の大切さを訴える演奏会を続けていると伺いました。印象的なことは「演奏している音楽の一つの音符に命を込めている」という言葉です。単に楽譜の音符を基にメロディを奏でているのではなくて命を吹き込んで音を発しているのです。たった一つの音符に命を与えているので聴く人に感動を与えてくれるのです。

演奏してくれた中に「いのちの名前」という曲がありました。希望とは人との出会いに付いているものだというメッセージを乗せてくれた演奏でした。希望は一人で叶えることはできないもので周囲の人の助けが必要です。希望とは、自分がやりたいことに一所懸命に取り組んでいることに気づいた周囲の人が与えてくれるものです。

いのちの名前とは自然に潜んでいるもので、私たちが知らないけれど全てのものに名前があり、名前が与えられているものには命があります。この演奏は、名前を与えられている命を大切に思う心を呼び起こしてくれます。

メッセージ性のある演奏を聴いていると、喜びも悲しみもあって、そんな日々が幸せであることに気づくことが幸せなことだと気付かせてくれます。名前を呼ばれて、人の出会い、そのことで傷つくこと悲しむこともありますが、逆に喜びも楽しみも感じることがあります。

そんな全てが幸せだと気付くことが生きる喜びなのです。幸せは何か大きなことを仕上げることにあるのではなくて、毎日の生活の中に存在しているものなので気付くことが幸せだと思うことです。

北島さんの演奏は聴く人を異次元へと誘ってくれます。それは普段思っていないことを感じさせる旅へと連れて行ってくれるようです。例えば、誰でも人に勇気と希望を与えることができると感じさせてくれます。自分にはできないのではなく、人を励ますことは誰でもできることなのです。

誰でも強い気持ちを持とうと思っても簡単に強い気持ちを持つことができません。しかし周囲の人から励ましの言葉を与えてもらうことや激励してもらうことで、やりたいことに強い気持ちで立ち向かうことができます。言葉でなくても背中を押してもらうことや、肩をポンと叩いてくれることが励ましになり、強い気持ちで立ち向かうことができます。

希望を持っているけれど一歩を踏み出す勇気をもてない人に対して、言葉を掛けることや背中を押すことは誰にでもできることです。そこに立っている人に対して歩き出す勇気を与えることができるのは周囲にいる人だけです。

もし僕が励ました人が夢に向かって歩き出して将来幸せになった時、振り返って「あの時の励ましの言葉があったから今がある」と思ってくれると思うだけで、僕は今この時に幸せを感じることできます。例えそれが「あの時、励ましてくれたのは誰だったかな」と思われても見返りを求めないなら関係のないことです。

将来ではなくて今幸せを感じることができるのは、人を励ますための行いをして、勇気づける言葉を掛けられるからです。将来幸せになる人を励ますだけで、今の僕が幸せになれるのですから、自分のことだけではなくて周囲の誰かのために心と言葉を使いたいと思います。