寂しいことですが、いつか「守る」と「守られる」の関係が逆転する時が訪れます。大人になると忘れてしまっていますが、一人で生まれ一人で育ってきた人はいません。いつも「守られて」いたのです。「守られていた」からこそ一人前に成長し、社会で活動ができているのです。守ってくれる人が一人欠けた時、子どもは親を「守る」立場になります。
父親がいなくなった時、残されたたった一人の母親を「守る」立場に就きます。「守る」ことがどれだけ大変な立場であることを実感します。自分の時間をその人のために割くことが「守る」ということです。これまで自分で使っていた時間の一部を割いて、親のために使う時間に充てることが大変で幸せなことだと気付きます。きっと母親は子どもだった僕を、自分の過ごしたい時間の大部分を割いて育ててくれていたのです。
買いたいものや欲しいもの、行きたい旅行を我慢して、子どものために時間を費やしてくれていたことを実感します。「守る」とは自分の時間を与えることだったのです。思い出すと、母は自分のことをしていなかったように思います。いつも食事を作ってくれて、洗濯をしてくれて、破れた衣服を縫ってくれて、お弁当を作ってくれて、朝起こしてくれて、帰るまで起きていてくれて、お金の心配をさせないようにしてくれていました。
運動会に来てくれるのを楽しみにしていて、参観日を楽しみにしていて、学校に行く時は家から外に出て見えなくなるまで見送ってくれて、買い物に連れてもらってお菓子を買ってもらえることを楽しみにして、手平のバス停からのバスに乗り、ぶらくり丁に出掛けることを楽しみにしていました。
社会人になってからも、朝早い出勤時間にはもう起きて朝食を作ってくれていて、残業や飲み会などで遅くなっても、寝ないで待ってくれていて、車の運転を心配してくれていていました。
生まれた時から母親でしたが、昭和36年当時はまだ26歳だったのです。それから79歳になる今日まで、自分の時間を割いて、僕のために使ってくれているのです。どれだけ大変なことか今の僕には分かります。1秒でも1分でも、自分の持っている限られた時間は大切なものだと知っているからです。自分の一番大切な時間を人のために使うことは簡単なことではありません。人は大切な時間と引き換えにお金を得ようとしますが、親が子どもを「守る」行為に当たり前のことですがお金は関係していません。そして今の僕は、当たり前のことを簡単にやって退けることが簡単ではないことも知っています。
30歳を過ぎた時でも子ども、40歳代になっても子ども、50歳代に突入している今でも子どものように思って健康や仕事を心配してくれています。「無理をしないように」、「早く寝ないと」など、昔と同じ言葉で心を温めてくれています。
母親がおばあちゃんになっていくことは想像もしていませんでしたが、歩くことや階段を昇る時、立ち上がる瞬間がしんどくなっていることを感じます。子どもが巣立ち、父親がいなくなって、母親からおばあちゃんに向かっていることを感じます。
いずれ、子どもを見守り「守って」きた母親が「守られる」立場へと変わっていくことになります。まだ昔と同じ「守られる」子どもの立場でいたいけれど、それでは父親が許してくれそうにありません。少しこの時を止めたい気持ちになっている今年の秋です。