コラム
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2014/11/21
1561    微笑

平成26年11月4日。早いもので父の三七日の日となりました。午前中の法要は行けなかったので夜の時間に伺いました。知事の決起集会を終えてからなので遅い時間になりましたが、車での移動が心配なのか到着を待ってくれていました。

母は告別式を終えてから体調が優れないため、数日点滴を受けていましたが、その後は体調を戻したので軽い食事を取っていました。今日、右手の甲を見ると点滴らしき形跡がありました。

「右手はどうしたの」と訪ねると、「昨日から体調が良くなかったのでお医者さんに行って点滴をしてきました。随分と楽になりました」と答えてくれました。

腕を捲ると、右手に一箇所、左手にも二箇所の絆創膏を貼ってありました。その理由を尋ねると「血管が細くなっているので注射針が刺さらなかったのです。そのため右手の甲の血管から点滴をしました」と言うのです。

手の甲に注射針を入れることを想像するだけで痛くてたまりません。「痛かった」と尋ねると「とても痛かった」と答えてくれました。絶対に痛いはずですが決して不満は漏らしません。それどころか「看護士さんは血管が見つからないので大変だったと思います。気の毒なことをしました」と看護士を労わっているのです。こんなところが母らしいと内心、微笑みたくなりました。

いつも自分のことよりも、まず人の心配をするのです。接する人の状態が良くなってから自分のことを考えるのが母なのです。本当に素晴らしい思いやりと優しさを持ち合わせています。きっと小さい頃から苦労をして育った体験の中から身についたものが、思いやりと優しさだと思っています。母が中学生の頃だと思いますが、早くに両親を亡くしたので、二人の弟を育てながら生きるために必要なものを身に付けたと思うのです。

そこに我慢強さと質素倹約という言葉がついてきます。僕が我慢強いのは母から受け継いだ性格だと思います。出してくれた食事は残さない、無駄なものは買わないという行動特性も母から無言のうちに教えられたものだと思っています。

それにしても痛々しくて、早く体調を回復して欲しいと願うばかりでした。辛い思いをしているのに、そのうえ体に痛みを感じるようなことはして欲しくありません。それにしても、点滴の注射針が腕の血管に入らないほど血管が細くなっていることを知りました。「母も年をとったのかなぁ」と寂しい思いがしました。

今は一人で暮らしていることを思うと、何もできない自分をただ無念に思います。四十九日まではやることが多くて気持ちが張っていると思いますが、それ以降は法要から解放されます。健康のこと、一人でとる食事、話し相手のことなどが気になりますが、これからは家庭から解放されて、幸せな人生を過ごして欲しいと願わずにいられません。

そして位牌の作成のこと、仕上げの時の食事と、皆さんに持って帰ってもらうお饅頭のことなどの話をしました。父の写真を見ると、その前には白い花が飾られています。蕾だった菊の花が白くきれいに咲き誇り、真ん中にはカサブランカが大きな花を咲かせています。葬儀の時はなかったので尋ねたところ、「今日、お坊さんが来てくれた時に寂しい感じがしたから飾りました」と答えてくれました。やはり母らしい思いやりのある答えに微笑みました。