コラム
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2014/11/10
1555    最後の言葉

父に伝える最後のお別れのメッセージです。告別式で参列の皆さんに挨拶させていただいた言葉がベースになっています。

父が亡くなってから一緒にいる時間が増えました。10月16日と17日の二日間は父と二人で会話することができました。これまではお父さんと呼んでいたので、父親に対して靖明という名前を呼ぶことはありませんでした。お父さんという存在から靖明という名前になった今、気付いたことがあります。靖国神社の靖と明治時代の明の二文字から靖明という名前になっているとしたら、如何にも日本人らしい名前だなぁと思いました。昭和一桁生まれなので、その当時の時代背景として明治の気質というものがあったのかも知れません。

父との関係は大きく3つの時期があったと思います。

僕が子どもの頃は大変厳しくて、むしろ厳しいというよりも気が短くて、とても強くて怖い存在でした。これが最初の父との関係の時期です。

成人してからは次の時期に入ります。僕が成人してからは一言も厳しいことを言わなくなりました。それは「もう一人前の男だから自分の責任で生きろ」と諭してくれたようでした。そのお陰で、その後は自分の好きなように自分の意思で自由に生きることができています。好きなように生きることは自分で考えること、責任を負う覚悟を持つこと。そして子どもの時に父が意味を教えてくれた決断という言葉に則った生き方ができていると思います。

そして入院してからの時期が3番目の時です。体力が衰え話すことが厳しくなってきた時期です。語らないけれど父親は自らの老いを見せてくれことで人生を教えてくれたように思っています。自らの老いを見せることで、人生は好きなように生きることが大事なことだと教えてくれました。あれだけ強くて怖かった父親ですが、何故か小さくかつての強さはなくなっていました。いつか自分のことが自分でできなくなる時期が訪れるから、自分が好きなように動ける時に思う通りに生きなさいと話してくれたように思います。

思い返すと、厳しく叱られて育てられた子どもの時代、何も言わずに見守って好きなように生きさせてくれた時代、そして老いていく姿を見せて人生の移り変わりを教えてくれた時代、この三つの時代を通じて父親から育ててもらいました。

父がいたお陰で、こんなに素晴らしい世界を見ることができました。父親がこの世に送り出してくれたお陰で素晴らしい人と出会うことができました。そして誕生させてくれたお陰で自由に活動をさせてもらえることができています。

平成26年10月16日、木曜日。午前9時38分。もう一度会って話をしたかったのに突然、この世を去ってしまいました。言わなかったけれど身体がしんどくて、別れるための悲しい覚悟を決めたからだと思います。

子どもの時から今まで、とても心強かったついたてが無くなりました。ついたてがあることで、どれだけの安心感を得たことでしょう。守ってくれる人の存在がとれだけ心強かったことでしょう。例え病室であったとしても、会いに行ける場所があることはどれだけ幸せなことだったのでしょう。

今はこの世に送り出してくれたことに感謝するばかりです。最後に心からの感謝の言葉です。「ありがとう」。