コラム
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2014/11/6
1554    救われた言葉

父との別れ。言葉に残さなければと思って入院中の出来事や思い出を記しました。もし書き残していなければ、入院の中の思い出は失われてしまっていたと思います。その時の思いは後で書こうとしても書くことはできません。その時に書いておかなければ永遠に失われてしまうのです。

別れの時を迎えたのですが、通夜式や告別式などの場面で皆さんからいただいた言葉に救われました。中でも悲しむのではなくて希望を感じさせてくれた言葉があります。

  • 「お父さんは、片桐さんが息子で幸せだったと思います」。

この言葉に幸せを感じ、希望をいただきました。悲しみよりも一緒にいられたことを幸せに感じさせてくれたのは、この言葉です。そして現実に対して後ろ向きに対応することは無駄なことで、前向きに対応することが立ち向かうことだと教えてくれました。人を勇気付けてくれる本当に素敵な言葉です。たった一言が人を励まし、いつもの自分に戻してくれるのです。

これからも天国から僕の行動を見守ってくれると思います。悲しむのではなくて行動することを楽しみにしてくれていると思います。幸せに生きることが望んでいることだと思うので、いつのもように笑顔で行動したいと思います。幸せだったと思う気持ちを、これからの過ごす世界の中でも感じてもらえるようにしたいと思います。

  • 「息子が立派な県会議員になって親父さんは幸せだったと思うよ。立派な息子に成長したことを喜んでいると思います。親父さんに幸せを与えたのだから、たいしたものだ」。

この言葉も悲しみではなく、幸せを感じさせてくれるものです。父親の希望を超えることが幸せを感じてもらえることだと思います。父親が「ここまで行ってくれたら」と思っている以上に子どもが成長することを親は幸せだと思うのです。

どこまでの成長を期待していたかどうかは今となっては分かりませんが、自分でも議員になると思っていなかったのですから、父もそう思っていなかったと思います。もしこれまでの日々を幸せに感じられた人生だったとすれば、少しは親孝行できていたのかなとも思います。だからここで成長を止めてはいけないのです。成長を止めてしまうと、きっと天国で悲しむことになります。今は成長する姿をこれからも届けることが親孝行だと思っています。

  • 「知り合いの偉いお医者さんは片桐さんのように腰が低くて立派な先生です。本当に片桐さんと同じように謙虚な人ですよ。片桐さんも私達にも頭を下げてくれますし、手柄を人に言ったりしないですし常に謙虚です。私達が尊敬する人に共通していますよ」。

立派なお医者さんと肩を並べるなんてとんでもないことですが、同じように評価をしてくれていることは素直に喜びたいと思います。評価は自分がするものではなく、誘導できるものでもないからです。

このお医者さんのお母さんは、自分の息子が医者だとは絶対に言わなかったので、話をしてくれたYさんは最近まで知らなかったと聞きました。できた人は決して自慢話をしないものですし、あくまでも謙虚です。この先生は、患者さんや職員さん、警備の人にも謙虚で親切だそうです。

  • 「お父さんの表情は本当にきれいで幸せな表情でしたよ。どんな式でもこんなきれいな顔を見ることはありませんでした。片桐さんの人柄がお父さんをその表情にしていると思います。お父さんをきれいな顔にしたのは片桐さんの心だと思いますよ。私はそう思います」。

心は顔に表れるといいます。言葉によって、そして言葉がなくても心が伝わっているとしたら嬉しいことです。もしこれまでの会話が父にとって幸せだとすれば、これ以上望むことはありません。

悲しい場面にあっても、こんな素敵な言葉をいただけるのですから、僕はとても幸せに囲まれていると思っています。