コラム
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2014/11/4
1552    最後の会った時

平成26年10月14日、月曜日。午後8時50分。病室の父を見舞う。

病院の面談時間は午後9時迄なので、予め警備室に声を掛けて入ったのですが、すっかり顔見知り知りになった警備員さんは「9時半までは大丈夫だから」と答えてくれました。

病室2213号室に入ると眠っているようでしたが、僕が入る気配を感じると目を覚ましてくれました。口元を見ると舌が乾いているようで、舌が浮いているように感じましたが、いつものように小さな声で何か話してくれます。

しかし声が小さいことと呂律が回っていないことから、残念なことに一言も聞き取ることができませんでした。懸命に話をしてくれるので口元に耳を近づけても、やはり聞き取れません。「しんどいの」と聞いても首を振り、「胸は痛くない」と聞いても首を振り、「お腹は」と聞いても首を振り、「どこか痛いところはあるの」と聞いても首を振るので、「痛いところはどこもない??」と確認すると頷いてくれました。では一体何を伝えたかったのだろうと分からないままになりました。

ただ口が渇いている影響からか、今日初めて口から乾いたような臭いが漂ったことが気になりました。でもいつものように話してくれるし、少し弱っているけれど特別なことは感じませんでした。

明日、10月15日は朝から出張なので、何かあるかもと心配でしたが、この分なら大丈夫と思ったので安心して病院を退出し、明日からの出張の用意をしました。

15日の朝、関西空港から大連に向かって出発しました。何事もなく帰国する予定でしたが。・・・。翌日16日、木曜日の朝、ホテルにいると朝から携帯電話が何度も鳴っていました。留守番電話を確認したところ母親から、「今朝、おとうさんの様子がおかしいと病院から電話があった。来て下さい」というメッセージが遠くから聞こえてきました。次の留守番電話を確認すると、「おとうさんの呼吸が大きくなっています。病院に来て下さい」というメッセージが録音されていました。

言いようのない不安感に支配されました。「直ぐに帰るから頑張って」と思いながら、身支度に着手しました。と同時に本日関西空港へ帰国するように変更の手配を行いました。関係者の皆さんには尽力していただき、無理だと思っていたのですが、本日、午後2時15分、大連発、関西空港行きの飛行機を確保してくれました。飛行機が混雑していたので、席を確保で来たことに感謝しました。

引き続いてキャリーバッグに荷物を詰め込んでいきました。午前7時50分のことです。洗面用具を入れているバッグのホックが折れてしまいました。鉄でできているホックなので「おかしいな」と思いましたが、急いでいたので「力が入ったのかな」と思い荷造りを続けました。

結果系ですが、父親がこの世を去ったのは午前9時38分のことだったのです。大連とは時差が1時間あるので、大連の午前7時50分は日本時間の8時50分となります。この時は気付かなかったのですが、この時、父親が最後の力を振り絞って、魂を僕のところに送り込んで別れを告げに来たように思います。その後、携帯電話で様子を聞くと「亡くなった」と一言。大連の地で、最後の瞬間に出会えなかったことを後悔して涙が零れました。