コラム
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2014/10/30
1550    溢れる涙

平成26年10月4日。病院の父が入院している部屋。昨日と違って色々なことを話し掛けてくれました。声が小さいので聞き取れない言葉が多くありましたが、話し掛けてくれることを嬉しく思いました。

ところが身体を起こして元気に話していた途中に、突然、話が止まり眠りに入りました。「あれっ」と思いましたが、最初は話疲れたのかと思いました。が昨日と同じように目は半開きで瞬きをしないで、口は開けたまま、そして手はダラリと力が入っていない状態です。

少し長い時間が経過して心配になってきました。名前を呼んでも話し掛けても全く反応がないのです。寝ているのではないと思い話し掛け続けたのですが、おかしいと感じるのに十分な不安がありました。看護士さんが来てくれて脈拍と血圧を測ってくれました。脈はあり、血圧も80と40と低いのですが大丈夫でした。

暫くして手が動き、目を覚ましました。昨日と同じような状態となり、驚くと共に安堵感が訪れました。何か言っているので顔を近づけて言葉を聞いたところ、腰が痛いと言っていました。寝ているばかりなので腰が痛くなっているのは当然です。手を触れて「この辺り」と聞いていくと、「もっと下」というので手をずらしていくと、腰というよりもお尻の辺りが痛いようでした。揉み解していると気持ち良さそうに目を閉じているので嬉しくなりました。「もう、ええ」と言うので揉むのを止めたのですが、やはり「もう、いっかい」と催促をするので腰の辺りを短時間ですが揉みました。

そうしたら両手を持ち上げて腰を揉んだ手を握りにきてくれました。両手で包むように。

そして父はこう話しました。「お前が中心にならんとな」「一人になったら頼んどく」、「ええ子を産んでくれて」と小さな言葉を発してくれたのです。最初の言葉は、「私がいなくなったら母親が一人になるので頼んでおくから」ということ。後の言葉は「母親に対して、良い子ども達を生んでくれてありがとう」と伝えているのです。

両手で手を握ってくれたまま、こんな言葉を僕に伝えるのですから、突然、涙が出て止まりませんでした。何度も何度も涙が出て止まりませんでした。涙が溢れて何も言えないでそんな気持ちになりました。寂しさ、嬉しさ、後悔、別れの予感などによって、自然に涙が沸いてくるってこんなことかと思いました。この幸せなわずかな時間と生きている小さな言葉と沸き起こる感情は、生きている間は決して忘れることはありません。

父は続けて「悪いのはワエ(俺)だけや」と、とっても素敵な笑顔で話し、「(俺は)喜んでいる、喜んでいる」と伝えてくれました。この「喜んでいる」には意味があると思いました。「こうして今いてくれてありがとう」、「今まで一緒でいられてありがとう」、「母親に対しての感謝の気持ちを伝えるありがとう」という意味が混じった言葉だと思います。

「すまんな」、「すまんな」と続けて言葉に出しました。全然、困ったことでも大変なことでもないので、「何もすまんことはないよ」と答えたのですが、果たして父の耳に届いているのでしょうか。

悲しいけれど、別れるまでの大切な時間の猶予をいただいていることは幸せなことだと思います。話ができることは素晴らしい。感謝を伝える言葉は素晴らしい。気持ちを言葉にすることは素晴らしい。生きていることは素晴らしい。そう思うのです。