コラム
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2014/10/29
1549    驚きを感じた瞬間

平成26年10月3日。誕生日の翌日は緊張に満ちた日となりました。いつものように朝を迎え、いつものように家を出ました。いつものような挨拶を交わし、いつものように仕事をしていました。午後1時30分を過ぎた頃、電話が鳴りました。「意識がない状態です」という内容でした。驚きと共に昨日、行けなかったことを後悔しました。

打ち合わせの途中でしたが慌てて飛び出して病院に向かいました。午後2時前に病院に到着し病床の父親と面談。母親と親戚の叔父さんと叔母さんが既に駆けつけてくれていました。

声を掛けても反応がなく、呼吸をしているだけの姿がここにありました。何度呼び掛けても反応はなく話してくれません。手を握っても動かす力はなく反応はありません。目を開けているのですが瞬きをしていません。口は開いたままで動かすことはありません。大きな呼吸をしていたので「命はある」と思いましたが、呼吸をしているだけの状態だったので、「その時」の覚悟をしました。

数十分経過した時に看護士さんが来てくれましたが、やはり反応はなく言葉を失いました。そんな時、突然、目を覚まし「座らせてくれ」とかすれた声で、しかししっかりと聞こえました。一瞬「えっ」と思いましたが、間違いなく話してくれていました。「少し座らせて」と言っているのです。

ベッドを少し起こして座る姿勢に固定しました。「これぐらいで良い」と聞いたところ、頷いてくれたのです。「だいじょうぶやから」、「しんぱいせんでええから」と話してくれました。喉が渇いているので「水が飲みたい」と言うのですが、医師からは水は誤飲して肺に入るので駄目だと伝えられています。喉が渇いているのに水が飲めないのは本当に可哀想だと思います。看護士さんが湿らせたガーゼで口の中を濡らしてくれます。

「どう、おいしい?」と聞くと「おいしい」と反応してくれます。「良かった」と思わすにいられません。これまで何度も水が飲みたいと言っていたのですが、飲めなかったので「飲ませてあげたい」と思っていました。少しだけでも水を感じられたと思うので、「少しは満足を感じてくれたかな」と思いました。

その後、こちらを向いて「すまんな」と聞こえました。すまないことはありません。ベッドにいる父親が望むことを何もしてあげられないことを残念に思うばかりです。

「話してくれているの」と尋ねると、確かに笑顔になってくれました。ベッドの上で暫く見せてくれなかった輝く笑顔です。笑顔を見せてくれるとは思わなかっただけに、こちらも笑顔になりました。人はやっぱり笑顔が素敵。笑顔が素敵なことは素晴らしいことだと思います。今日の出来事は奇跡だと思います。神様が父親と会話をさせてくれ、笑顔を見せてくれたのだと思います。もう一度「すまんな」と話してくれましたが、先ほどまで止まっていた表情が笑顔に戻ったので急に安心しました。「きっと今日は大丈夫」だと思いました。しかし血圧測定をしたところは80と40と低い数字なので山場は続きます。

主治医の先生からは「いつどうなってもおかしくはない状態です」と話がありました。看護士は「できることがあれば何でも言ってください」と話してくれました。親切な人に囲まれていられることに感謝です。今日があり今日が終わる。そんな一日が巡ることを幸せに感じています。会話を交わせた今日という日に感謝しています。