コラム
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2014/10/21
1545    命の灯火

平成26年8月15日の終戦記念日でした。その日、夕方に携帯電話に父親が入院したとの連絡があり病院に走りました。病室での父は弱々しく悲しい気持ちになりました。昨日は親戚の叔父さんや弟と会って元気に話をしていたのですが、今日突然、39度の発熱があり緊急入院したものです。

熱があるようなので額に手を当ててみると、やはり熱くて苦しそうでした。看護士さんが来てくれたので聞いたところ「解熱剤を入れているので、今は38度少しに下がっています」ということでしたがやはり熱がありました。

「大丈夫」と尋ねると、父は「しんどかっと」と一言。左肺に手を当てて「ここが痛いわ」と力なく言葉を発しました。暫く肺の辺りをさすっていたのですが、「もう、さすらなくて良いから」と言うだけでした。

その後突然、「すまんな」とポツリ。謝る必要なんて何もないのにと思いながら、見つめるだけでした。午後7時過ぎのことです。

食べられていないので点滴をしながら、呼吸が弱くなっているので鼻に呼吸器を取り付けて横になっていました。呼吸器が鼻から取れていたので取り付けた後、どうしてだろうと思って看護士さんに聞くと「何度も呼吸器を外してしまうのですよ」と言うことでした。きっと顔に違和感があり、気持ちが悪いので外してしまったのだと思います。

上を向いて寝ていたのですが、同じ姿勢だとしんどくなってきたようで、「横にして欲しい」と言ったので、右側を下になるように姿勢を動かしました。もう自分の力で寝返りを打つこともできなくなっています。

肩の盛り上がりがなくなり、上腕部も骨と皮だけで筋肉が落ちていました。手首と腕に触れると思っているよりも細くなっていて、やはり骨と皮だけの感触でした。怖くて力強かった父はどこに行ったのでしょうか。寂しい気持ちでいっぱいになりました。

今日の父が発した言葉は、「しんどかった」、「すまんな」、「横にして欲しい」の言葉だけでした。言葉数が少ないのは、熱があり身体がしんどいからだと思います。でも座ることや寝返りを打つことができない身体になるとは思ってもいませんでした。

身体を横にしたところ身体が楽になったのか、気持ちが良くなったのか分かりませんが、寝息を立てて寝てしまったようです。暫く、そのままでいましたが、蒲団が上下に揺れて深く呼吸をしていることが分かったので、そっと病室を後にしました。

「神様、どうか明日も今日と同じ朝が来て下さい」と祈りました。今日と同じ朝が来て欲しいと思うばかりです。最近は仕事がかなり混んでいたので、父に会うことを怠っていたことを後悔しました。少しの時間ならあったと思い、「どうしてもっと顔を見に来てあげなかったのか」、「もっと話をしてあげたら良かった」と思うばかりです。

会話も辛そうで、身体を動かすことも自由にならなくて、呼吸器を装着して呼吸をしている。そんな姿を見るのが辛くて、残念でなりません。

明日、今日と同じ希望のある朝が訪れて欲しい。そう思うばかりです。

父はいつも私の「ついたて」でいてくれています。これからもずっと「ついたてでいて欲しい」。そう思うばかりです。命の灯火を見つめています。