コラム
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2014/10/14
1542    感謝と喜び

オータムコンサートの冒頭、鷺森別院岡崎支坊の住職さんの話を聞く機会がありました。毎回、季節にあった話を聞かせてくれるのですが、平成26年の秋も素敵な話をいただきました。

人は生きていることが当たり前だとか一人で生きていると思っていますが、一人で生きられるほど人生は甘いものではありません。ここに存在している意義を感じなければ、この先良い人生を送ることはできません。ここに存在させてもらっているのは、両親がいるからであり、お祖父さんとお祖母さんがいたからであり、そのまた両親がいたからです。たった一人が欠けていても私達はここに存在していません。ここに存在しているのは両親の意思であり、そのまた先祖の意思であり、宇宙の意思なのです。今ここに元気に生かされているのは数え切れない、そして直接会ったことのない先祖がいたからです。当たり前にここに存在しているのではないことを知るなら、ここに存在している意義が分かります。

ここに自分が存在しているのは生命と時間を先祖から与えられたものであり、その感謝の気持ちと喜びをこの世界に伝えるためなのです。生命とは活動できる時間であり、その限られた時間の中にだけ私達は生かされて、感謝と喜びを人に与えることができるのです。

ですから私達は遠いところにある意思を感じ、感謝しなければなりません。遠いところにあっても、見えなくても先祖の意思は存在しています。生かされていることに感謝することと喜びを感じることを、今を生きている私達が伝える役割があるように思います。

感謝と喜びを伝えるためには自分がそんな行動を起こし言葉にする必要があります。自分が行動することで感謝と喜びを表現できますが、自分が感謝と喜びに満ちた行動を起こさない限り、その大切なメッセージを人に伝えることも与えることもできません。それでは遠い意思を次の世代に伝えることができなくなります。意思が伝えられなければここに存在している意義はありません。

重ねて言いますが、私達は生かされているのです。生かされているということは神や先祖の意思に基づいた役割があるからであり、その役割を放棄することはできません。感謝と喜びを人に伝えることができない人生を想像してみると分かります。感謝も喜びも伝えられない人生に意味はあるでしょうか。感謝も喜びもない人生は、誰からも感謝されず喜びも与えられない人生であり、ただ呼吸をしている生物のようなものになります。遠い意思に反する生き方は先祖が望んでいないものであり、幸せは遠い存在になります。

人気がある人は、私達に感謝と喜びを与え続けてくれる人です。

テニスの錦織選手は2014年の全米オープンテニスでやればできると希望を与えてくれました。サッカーワールドカップ日本代表選手は夢を追いかけることの素晴らしさを教えてくれました。アメリカメジャーリーグに渡った田中将大投手は全ての日本人を味方にしてしまいました。これらの人に共通しているのはプレーを見る全ての人に喜びを与えているという事です。そしてインタービューの中には感謝という言葉が出てきます。優れた人物は応援してくれている人に対する感謝の気持ちを持っているのです。

やはり私達の潜在意識に存在しているのは感謝と喜びだと思うのです。自分が動くことで感謝と喜びを人に与えられるなら、自分にも感謝と喜びがプレゼントされるのです。