コラム
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2014/9/10
1528    無と無の間

人はゼロから誕生して有形のものを作り上げて行きます。そしてやがて迎える死は無の状態になりますから元に戻るような感じとなります。無から有を作り出し、そして無に帰することが生と死だと聞きました。では有と無はどちらが上かという質問に対しては、「どちらが上でもありませんが、むしろ生きている世界は下層であって死して無の世界に上るという感覚でしょうか」という答えをいただきました。

死んだことを悲しむことはこの世を去る人にとって辛いことだそうです。この世を去り、次の世界である天国で下界を見た時、悲しんでいる姿を見て楽しいと思うことはありません。天国から見たい光景は、親族の笑顔であり幸せなのです。ですから天国に向かって悲しむ顔を見せるよりも、笑っている顔を見せたいものです。

「これから良い世界に行きますよ。だからバイバイ」という思いで送り出すことが最高だと聞かせてもらいました。もし悲しんだとしてもその一日だけのことにして、翌日からは笑顔で元気に生きるべきだということです。それがこの世を去る人への愛情であり、故人を悲しませないことだそうです。

神道の世界では死を弔いと言わないで祭と言います。50年祭というのは死んでから50年を経過している今のことを言います。50年忌と言わないで50年祭と言うのは、死が弔いではなくて祭りだからです。死はこの世を去るという恐ろしいものではなくて、次の世界に向かうお祝いすべきものだと言うのです。だから悲しまないで笑顔で送り出すことがかつての日本人だったそうです。高天原に戻ることになるのが死と言うことであり、神の世界に迎えることを悲しむことはありません。

ところで、私達が今を生きていることは目覚めた瞬間に気付きます。太陽が空から降り注ぐ光を感じることが生きていることなのです。太陽は命を与えてくれている太陽神のようなものですから、生命を感じるのは目覚めた瞬間にあります。もし太陽が空になければ、生命は存在できません。言い換えると太陽がない世界で人は生きることはできません。朝起きた時に感謝することは、生命を与えてくれている太陽神に感謝することであり、命を感じることです。

この世での魂の修行を経て次の世界に旅立ちをすることは魂のレベルが上がったと見るべきで、困難に立ち向かい魂のレベルを上げていくことが人生の修行であり、やがて迎える死に備えることだそうです。

レベルを上げるということは、これまでの世界を下のレベルにしてしまいます。レベルを上げるとそれまでここにいたモノを排除でき、レベルが上のモノと出会うことになります。必要以上の不安や恐れを感じるなら、魂のレベルを上げるための修行をすることが必要です。悲しみがあっても、その場で立ち尽くさないで上を向いて歩こうとする姿勢が、これからに喜びと幸せを連れてくるのです。

元々無から誕生しているのが命であり生きるということです。人は生命を得てたくさんの有を作り出していくのですが、やがて無に帰する時を迎えます。自らを無にするけれど、作り出してきた有は引き継ぐ者達に渡します。自分は身軽になるので、元いた無の世界へと旅立てるのです。無と無の間に命を感じる今があるのです。