コラム
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2014/9/9
1527    思い描いた未来

平成26年8月という季節をとても慌しく過ごしました。仕事をするには時間が足りないと思う日ばかりでした。特に第四週目からは新規に仕事を入れられないほどでした。

実行委員会を結成し実行した祝賀会、招待をいただいた福祉施設の夏祭り、夏の献血奉仕活動、福岡県日帰りの打ち合わせ、県議会から中国北方二省訪問、会派の視察として石川県と富山県の訪問、結婚式への出席などが日程にあり、どれも途中に他の用件を入れられないものばかりでした。

その間も議会報告会や生と死に関する講演会、期間限定の出店店舗への訪問などを予定していたので、隙間の時間もないというのは、こんな状態のことを言うのだろうと感じるほどでした。

夕方からの懇親会のお誘いに対して「三週間先になります」と答えると、決って「もっと早い日程で開いている日はないですか」と返答が返ってきます。「それが空いていないのですよ」と答えているのですが、本当なので理解してもらっています。

この時期は「打ち合わせの時間をとれませんか」という依頼に対しても、「来週は全く空いている時間がないので再来週のこの日は如何ですか」と答えていました。調整が可能であれば何とかしたいのですが、物理的に無理なのでそれぞれが先の予定になってしまいました。

少し日程に余裕がなさ過ぎると思うのですが、「もしかしたら、かつて自分が望んでいた未来に今いるのかも知れない」と思いました。

「社会のためになる仕事で全国を飛び回りたい。新幹線と飛行機を乗り継いで、限りある時間を最大限に活かしたい。その中に日本に利益を生み出せる外国での仕事もあれば最高。家を空けても出張が続いても大丈夫だから」と思ったことがありました。

そんな昔の自分が思っていた未来が今だと気付いたのです。例えば8月末の一週間の間に福岡県、中国、石川市役所と富山県庁などを訪問しています。しかも県議会議長から指名された公式訪問と議会活動としての調査、わが国にとって大切なエネルギー問題に関する打ち合わせなど、その用件も思い描いていた通りのものばかりです。

平成26年の夏は昔の自分が思っていた、なりたい未来の中に今の自分がいたのです。「少しゆとりが欲しい」だとか「もう少し時間があれば」だとか「出張が続いているので何とかならないかな」など一瞬思う時がありましたが、それらの思いは即座に全て否定しました。

何故なら、昔の自分が思い描いていた未来を生きているのだから、不満を感じることや文句を言ってはならないと思ったからです。昔の自分が思っていた未来が実現しているのですから、むしろそれを現実にしてくれたモノに対して感謝しなければなりません。

そして昔の自分が、頑張って思い通りの未来を実現させてくれたのですから、今の自分も頑張ってこれから始まる未来を自分が思う通りに実現させたいと考えました。昔の自分は漠然と思い描いていた未来だったのに対して、今の自分はある程度現実を知っている年齢になっていますから、この現実を基にして明るくて幸せな未来を想像する必要があります。

現実を基にして更に今を発展させた未来を想像することは簡単なことではありませんが、昔の自分がやれたのですから、もっと成長した今の自分もやれるはずです。思い描いた未来を生きている。そんな現在に幸せを感じない訳にはいきません。