コラム
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2014/7/23
1503    文章に記録する

創作活動は繊細なもので、少しの変化によって仕上がりが違ってしまいます。文章を書く人は分かると思いますが、書いていて熱が入ってきた時、調子が乗ってきた時に電話が鳴ると思考が停止してしまいます。アイデアが出てきてペースが良かったのに、電話を終えて以降は筆が止まることは多々あります。

また文章の仕上げに入り、後数行というところでパソコンの電源が突然シャットダウンされることがあります。折角、書き終える寸前だったのにと思って再起動させても文章は保存されていないので、その時間に書いた文章が消え去ります。気を取り直して書いた文章を再現しようとするのですが、決して同じモノにはなりません。出だしは同じように始められても途中からは文書構成は違ってきます。テーマが決まっていたなら同じような文章仕上げることはできますが決して同じ文章にはなりません。だから一度消えた文章は再現できないのです。消えたものと同じことを書くことはとても難しい作業となるのです。

書くという作業が中断されることや、文章が保存されずに消えることは、その時の思いや考え方がなくなってしまうということです。自分の思考は他人から邪魔されることはありませんが、思考を言葉で表現する作業は邪魔されることがあるのです。携帯電話は便利で活用することでその場にいなくても仕事ができますし、デスクにいなくても仕事を進めることができます。しかし一人で考える時間が制約されるので、考える作業の途中は控えたいところです。

思考は言葉にして表現することで人から理解されます。言葉で説明をしても本人は分かっているので話せますが、聞く方は内容が分かっていないので説明だけでは理解できない場合があります。人に説明をするときや仕事の依頼をする時は説明用資料を用意すべきです。文章にして説明することが仕事の基本です。しかし思考は自分だけのものなので誰でもできる行為ですが、思考を言葉に置き換えて説明できるように文章にすることは困難な作業です。自分の思いを、言葉を使って形にすることは意外と難しいことなのです。

そして文章に書くことは繊細な作業ですから中断されない一人の時間が必要です。創作活動が夜の時間か早朝になるのはそのためです。

ですから思ったことや考えたこと、話したことはその日のうちに文章として残さなければ記録されませんし、やがて記憶からも消え去ります。どれだけ記憶に残るような場面や言葉でも、文章で残さなければ消え去る運命にあります。しかも記憶が鮮明なうちに書くことが必要なのです。書かなければ、絶対にその時の思いや感動を残すことはできません。

私の場合、その日の出来事や思ったことは文章にして残すようにしていますが、書く作業の時間が限られている時は、「今日のことは覚えているからこの次に書こう」と思ったことがあります。でも一日経過すると、その時の感動は薄れているのです。感動が薄れてしまうとそれを表現する言葉が出てこないのです。もしその日に文章にしていれば人に伝えられる内容になったのに、翌日に文章にしたため感動を伝えられない文章になってしまうことは多々あります。

考えていることや経験したこと、感動したことは言葉として、文章として記録したいものです。そうしなければ人に伝えられないので、とても勿体ないことになります。