コラム
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2014/6/11
1476    S君の中国語

平成26年6月になって同級生のS君のことを聞きました。S君は中国語が堪能で現在は南京の現地法人の社長として仕事をしています。大学を卒業してから台湾、北京、上海、そして南京と外国での勤務が続いています。中国語を中国人と同じように話しているS君は簡単に中国語をモノにしたように思っていました。つまり中国や台湾での勤務が長く、自然に身についたと思っていたのです。ところが実は違っていたことを知ることになりました。

彼は大学で中国語学科を専攻し4年間勉強をしたのですが、同じ寮に住んでいた同級生から、「実に熱心に勉強をしていた」と聞かせてもらいました。寮の部屋は夜遅くまで電気が灯っていて、中国語の勉強をしていました。夜間も語学学校に通って中国語を勉強していたので、昼間は大学で中国語を学び、夜も中国語を学び続けていたのです。ダブルスクールを通じて語学を自分のモノにしていったことが分かります。

4年間大学で中国語を学ぶことによって、卒業後直ぐに中国や台湾で長期勤務をし堪能になったのではなくて、勉強をしていたから中国語を話せるようになったのです。努力なしに語学を習得することはできないことを伝えてくれました。

勉強する時間をたくさん確保していたことや、勉強の時間を自分で作り出していたこと、そして高校時代から「これからは中国の時代になるので中国語は武器になる」と話していたことを思い出しました。将来、自分が戦う場所になるところを明確に意識していたことが勉強に向かわせる力になっていたようです。高校時代の友人であった僕達は「中国の時代なんて来るのかなぁ」と思っていました。発展途上にあるとは思っていませんでしたし、中国に興味のある同級生は一人もいなかったからです。

先を見通す力はとても大切な能力ですが、結果として彼には能力が備わっていたということです。そしてそこに溢れるような努力が伴っていたのです。

彼が台湾に勤務していた時、彼の部屋に宿泊したことがありますが、当時発展途上にあるアジアらしい簡素な部屋で、良いとはいえない環境の中で実践を通じて勉強していることも知りました。日本企業ですが職場で日本人は一人だけ。全ての商取引の責任者であり、交渉は彼に任されていたこと。休日は映画館などに出掛けて語学勉強の時間に充てていたことなど、将来、中国語が自分の武器になるように努力をしていました。

仕事での実績をあげると共に中国語はネイティブとなり、最初は現地事務所の所長でしたが、現地法人の副社長、そして社長と確実に彼の目指した場所で階段を登っています。

しかしどんなに苦労をしているのかを、親友に対しても決して話すこともなく、見せることもありませんでした。努力は人に見せるものではなく、自分が自分の勉強に納得するために必要なものだと知っていたからです。

今では、彼の中国語は中国人と間違われるほど堪能になっているようです。20歳代の時に勉強して身に付けたものにずっと上達するための努力を続け、50歳代になって現地法人の社長として活躍している姿を聞くと、高校時代に描いた通りの生き方をしていることを嬉しく思います。時間を掛けて習得した中国語という武器で世界と戦っているのです。

発展する時が来るのだろうかと思っていた中国は、経済力で世界第二位の大国となりました。日中を舞台にして活躍しているS君を励みとして、更に頑張れるような気がしています。