コラム
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2014/6/12
1477    未来を描く

福島県相馬市と南相馬市を訪問しました。中でも福島第一原子力発電所から40km圏内の南相馬市を訪れたのですが、生まれ育った場所で力強く生きている皆さんと懇談する時間をいただきました。その中で復興に必要なことは未来図を作ることだと話してくれました。元の通りに戻すことを復興とは言いません。まちを元の姿に戻したところで、地域は基に戻らないからです。この地域では、子育て世代の家族が地域の外に移り住んでしまったので一気に高齢化が進展しています。20年先の日本の高齢社会のモデル地域のようになっているのです。平均年齢が20歳も進んだ地域を、元の姿に戻しても町として成り立たないことは明白です。復興とは町を元の姿に戻すことではなくて、どんな未来を与えられるかを描くことから始めなければならないことなのです。

このように福島県の人々の価値観が変わってしまっていることを知りました。具体的に価値観の違いを説明してくれました。

自宅の庭に雑草が生えていたとします。東日本大震災前であれば、除草剤などを散布したり、草刈り機で雑草を切り倒してしまったと思います。

ところが震災後は、そんな雑草を見て、どんな環境においても生きることが大切なことや、雑草が咲かせた花を美しいと感じるようになっています。ですから雑草を枯らすのではなく、引き抜くのでもなくて、雑草を花瓶に挿し、机の上に飾って眺めるようになっているのです。

これまでは雑草を枯らしていたものを、今では雑草を見て愛しいと感じるのですから価値観は大きく変化しています。雑草を生かして眺めて心が豊かだと感じるようになっているのですから、豊かさや幸せを感じる価値観は根本的に変わっています。その価値観は現在を見ているのではなくて、未来に誇れるものを必要だと感じていることにあります。今を懸命に生きている雑草を大切に思い、未来においても生きていくことに価値を見出しているのですから、未来を感じるものを作り出さなければ、そこに暮らす人の心に響かないのです。

建物を再興すること、道路を造ること、橋を建設することなども大切ですが、形あるものを復興するだけでは足りないのです。未来を感じるものや豊かさを感じるものが、この地には必要なのです。

人は厳しい環境にあったとしても、今だけを見ているのではなくて未来への希望を見ているのです。未来を感じられないものは必要としていないのです。県外の人が中心になって短期間で復興事業をやりとげてしまうよりも、自分たちも一緒になって未来を感じられるようなまちづくりを考え復興していくことを望んでいるのです。最新の製品に囲まれて暮らすよりも、小さな花の命を大切に思えるような生活をしたいと思っているのです。

現役世代の人がこの市から逃げることは容易い選択ですが、ここで暮らしている高齢者達を見放すことはできないと思っています。ですからここで暮らす人達のために市の復興に関ろうとしているのです。

この地域で生産した食料を安心して食べられる姿で生産するしくみ、除染技術を備えることによって新しい産業を立ち上げることなど、現在を後悔するのではなくて、現在の環境を未来につながる産業に育成しようと考えているのです。

現在を生きることは未来に生きる姿を描くことです。