コラム
コラム
2014/2/7
1404    幸福追求権

日本国憲法で最も重要な条文は第13条です。個人の尊重を示す条文であり、幸福追求権とも言われています。この条文は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」です。

この幸福追求権は日本国民が人権を有することを示しています。ここには具体的人権について触れられていません。具体的人権が示されていないのが素晴らしいのです。人は生まれながらにして人権を有していますが、人権とは時代によって違ってきます。今は人権とは認められていなくても、来年になれは認められることになる人権があるかも知れないのです。過去、人権として認められていなかったプライバシー権や環境権ですが、現代社会では誰でもそれらは人権であることを知っています。

このように環境権やプライバシー権など、それまでの時代には存在していなかった人権を生み出せた根拠になっているのがこの幸福追求権なのです。

ですら現代社会では人権となっていないものでも、時代の進展と共に新たな人権問題が発生すれば、それらが人権として認められることがあります。そんな時代に応じて新しい人権を生み出してくれるこの条文は、ドラえもんのポケットのようなものです。

人は人権を有しているので、幸福であり自由を追求することができます。国家はその人権を支持することが憲法において求められているのです。

もし最も重要であるこの幸福追求権が憲法から削除されてしまうと、新たな人権は生み出せなくなってしまいます。これまで人権として認められていて権利だけが人権として固定されてしまうと、現代社会では考えられないようなことが将来、人権かどうか議論されても、決して人権として認められないのです。

理由は簡単です。第13条がなければ新しい人権を生み出すことができないからです。

それを間違った解釈をして、日本国憲法には具体的な人権が記されていないので、環境権やプライバシー権を条文に明記して、曖昧な第13条を削除すれば良いという意見があります。現代存在している人権だけ人権として確定させてしまうと、それ以外の人権は生まれなくなります。現代社会にない人権なんか存在しないという意見もありますが、情報社会が進展していくにつれて、時代によって価値観が変化していく中において、現代社会で人権とは認められていないものが人権に昇格する可能性はあります。

プライバシー権や環境権の他にも、肖像権や犯罪被害者の権利、アクセス権や日照権なども現代社会では人権として認知されています。過去の時代においてはこれからの価値は低いとされていたため人権とはなっていませんでした。

新しい人権を生み出してくれる幸福追求権は、日本国憲法から絶対に消してはならない条文なのです。

なお、基本的人権については憲法第13条と憲法第97条に規定されています。

憲法第13条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」と記されています。

憲法第97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」です。

この基本的人権については、書いている内容が重複しているので誤りだと言われることがあります。

しかし最高法規の日本国憲法に誤りがある筈はありません。ふたつの条文は基本的人権が憲法上重要な権利であるから、繰り返して二度登場させていると見るべきです。それほど重要な条文を、同じことが書かれているからという表面的理由で削除しようとすることについては異議があります。日本国憲法で決して改正してはならないのは、人として生まれながらにして有している基本的人権であり、このような根幹を成す条文は決して触ってはいけないものだと考えています。

日本国憲法第13条の幸福追求権、第13条と第97条に記されている基本的人権は、最も重要な根幹に関る条文なのです。人類が生死を賭して獲得した人権が、比較的新しい憲法であるわが国の日本国憲法に組み込まれているのです。欧米諸国において革命などによって多くの血を流し獲得した権利が、わが国においては日本国憲法制定によって権利を確保されているのです。戦後与えられたと思っている人もいる憲法なので、人権の記述について重要に感じていませんが、人権はとても重要なことなのです。