コラム
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2013/12/9
1375    過去の延長

自分の人格に関しては、世間の評価や人からの評価は気にする必要はありませんが、仕事をしようと思ったら、評価は大事な指標となっているのは事実です。これから先、やりたいことがあるなら、自分の評価を上げておくことが大事です。

組織や社会の評判において、過去3年間の評価が最高水準にある人は、次に実行しようと思うことがあれば、その方向に傾けるだけで、それができる環境に周囲が仕向けるなど支援してくれます。

逆に過去3年間の評価が芳しくなければ、その人が大きなことを言っても周囲は「彼なら出来る」と看做してくれませんから支援体制もできません。

このようにその人の将来を見るためには過去の評価が基準となります。直近の3年間、成果が挙げられていないのに、より困難な仕事に対して「この仕事は自分ができます」と宣言しても信用されません。やはり実績がモノをいうのです。実績を上げている人は困難な仕事であっても「彼ならできるだろう」と思い、その仕事を与えられて、しかも応援してくれます。

それまでサボっていて評価がないのに、脚光を浴びる仕事に名乗り出ても仕事は与えられませんし、「無理だろう」と評価されるのが落ちです。それに対して、「自分は信用されていない」と思って上司や周囲に不満を述べても、それは無駄です。評価されるような仕事をしてこなかったからです。

日常の小さな仕事を着実に実行できている人は、それまで経験したことのないような大きな仕事であっても、「彼の仕事振りならできるだろう」と看做して、その仕事を任せてくれます。小さな仕事ができているということは、権限者や上司が大きな山を乗り越えられる力を発揮できると予測してくれるからです。

これから起きることは、これまでの延長戦上にあります。これまで何も成果を挙げていないのに突然、大きな仕事が与えられることはありません。このように自分に与えられる仕事や環境は、ある程度これまでの仕事の評価から予測できる範疇のものになります。自分の将来はこれまでの延長線上にプロットされるのです。ですから直線であれ曲線であれ、自分の評価を上げて、将来のカーブを上昇させておくことが大事になります。上昇曲線を描いていないで平行線の評価の人の将来は、やはり平行線上から逃れられません。将来は実績から与えられるものであり、右肩上がりの直近の実績が欲しいのです。

勉強も同じことが言えます。例えば学生時代の3年間の成績が良くないのに、成績以上の進学校を進めてくれる先生はいませんし、仮に成績以上の進学先を受験したとしても合格する可能性は極めて低いのです。3年間の頑張った人は頑張っただけの評価があります。3年間、余り勉強しなかったために成績が低迷している人は、受験で相応の評価を受けるのです。受験先の学校は、「彼は3年間頑張ることはできなかったけれどそれは仕方がない。この学校に来れば頑張って成績を上げてくれるに違いないから受け入れよう」とはなりません。

頑張れる人はどんな環境にあっても頑張れます。現在の環境に不満があり、いま、頑張れない人は、その次のステージにおいても、やはり頑張れないのです。

過去からの延長戦上に将来はあります。突然、突出することはありません。だから日々の頑張りで評価を残し、上昇曲線を描けるような勉強をしたいものです。