コラム
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2013/10/7
1339    誕生日

10月2日、「誕生日にはお母さんのところに行ってあげて下さい。きっと喜ぶと思いますよ」という言葉をいただき、「そう言えば誕生日に会いに行っていなかった」と思いました。

母親は誕生日になると毎年メールを届けてくれていたのですが、こちらからは全く顔を見せていなかったことを反省しました。昭和36年10月2日の誕生の日、この世で最初に会った人が母親でした。最初に誕生を祝福してくれた人の大切な日に、祝福を受けた自分が会いに行っていなかったことはいけないことです。誕生日とは自分が祝福される日ではなくて、両親に感謝する日なのです。

両親が最高の笑顔になった日。幸せを感じた日が誕生日だと思います。昨年の誕生日の時にお祝いの言葉として「誕生日は両親に感謝をする日ですよ」と聞かせてもらったことがあります。

誕生日とは母親が大変な痛い思いをして、命を掛けて世の中に送り出してくれた日なのです。その感謝の気持ちを忘れてはいけません。一番しんどい思いをしてくれた母親に元気な姿を見せること、感謝の気持ちを行動で表すことは人として大事にしたいことです。

実家を訪ねると、「今日誕生日ですね」と、当たり前のことですが僕の誕生日のことを忘れないで言葉を掛けてくれました。続けて入院中の父親を訪ねたところ、今日「章浩は何歳になったんかな」と話していたことを伝えてくれました。父親も誕生日であることを忘れないでいてくれていたのです。とても幸せな気持ちになりました。

「年齢を重ねることに感謝して下さい」という言葉もいただきました。年齢を重ねることは嫌なことだと思っていましたが、この言葉を聞いてその意味が分かるようになりました。

誕生日は毎年巡ってきます。昨年の誕生日、今年の誕生日、そして来年も同じように誕生日が訪れると思います。その都度、両親が笑顔で幸せになってくれているのです。つまり誕生日は両親にとって子どもが成長する嬉しい日であり、会いに来てくれると信じている特別の一日なのです。

平成25年の僕の誕生日は52回目です。誕生した翌年から52回の幸せを感じてくれていると思います。そう思うと毎年、誕生日を迎えられることに感謝すべきなのです。年を重ねることは決して寂しいことではなく、感謝されている幸せな日だと思いたいものです。

子どもが成長し、小学生から少し距離を置き始める中学生に、そして旅立つ準備期間の高校生、そして成人します。やがて両親が自分を生んでくれた年齢を越えていきます。自分が年を取るのと同じように、両親も年を重ねていることに気付く時が訪れます。昭和6年生まれの父親は82歳。昭和10年生まれの母親は78歳になっています。そのうちの52年間の年月が重なっているということに感謝しています。

52年間も歩いてきて、これから先、どれだけの誕生日を祝福してくれるのだろうと思うと言葉に表せないような感情が沸いてきますが、いつまでも幸せな一日でいられることを祈っています。

遠く過ぎ去ってしまっている昭和36年10月2日から、ずっと変わらずに祝福してくれていることに感謝する日となりました。実家での滞在時間は1時間余りでしたが、どことなく幸せに浸れた時間でした。