コラム
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2013/10/1
1335    立場によって

意見が違うからと言って相手を批判することは止めた方が良いのです。誰でも自分の意見が間違っていると思いながら、意見を述べる人はいません。意見を言う限り、それは正当であると思っているので、自分なりの根拠もあるのです。そんな意見を否定して良い方向に向かうことはありません。意見は一旦聞いて受け取る。受け取ってから見解の相違があれば、今度は自分の意見を伝えることです。否定や批判ではなくて、あなたの意見は理解しています。でも私は「こんな理由があるのでこんな意見ですよ」と伝えると良いのです。

それが相手を認め議論を交わすということです。議論で相手をやっつけて追い詰めることは避けたい行為です。国家間の争いであるなら兎も角、自分達の周囲で起きている事案の中で、相手の意見を100パーセント否定して叩き潰すような出来事はありません。

自分が100パーセント正しくて、相手が100パーセント間違っているという対立もありません。恐らく、どちらにも言い分があり、どちらにも引き下がるべき点があるのです。相手の意見を聞いて、納得できるところは受け入れる寛容さを持ちたいものです。

自分と相手の意見の相違について、次のような事例で説明してくれた人がいました。

私と相手の間にテーブルがあり、テーブルの上にグラスがあります。私の側から見るとグラスに指で持てるフックがついています。相手の場所から見ると取っては見えません。と言うよりもフックはないので存在していないのです。

自分が「このグラスにはフックがついているね」と言いました。ところが同じテーブルに座っている相手は「このグラスにフックなんてついていないですよ」と答えました。その答えに対して「どこを見ているんだ。フックはついているじゃないか」と少しイライラしながら答えます。でも相手は「フックなんてないよ。何を分からないことを言っているの」と答えます。この応酬が進展していくことで関係は悪化、やがて相手を批判することになります。

でもこの議論はどちらも正しいのです。自分から見たグラスにはフックがあり、相手から見たグラスにはフックがないのです。見方によって見え方が違うだけなのです。それを正しいだとか、間違っているだとかで言い争うことがおかしいのです。

世の中のモノの見方はこれと同じです。自分が見ているものだけが正しいとは限りません。同じ場所、同じ時間と空間にいても、立つ位置や見方によって見え方が違うということを知らなければなりません。

相手が言っている意見の背景を知るためには、相手の立ち位置に移動して相手のいる場所から見る必要があります。今回の事例で言うと、テーブルの向こうに周り、相手の座っている椅子に座ります。そこからグラスを見るのです。そうすればこのグラスにはフックがないことが分かります。ようやく「このグラスにフックはない」と言う理由が理解できるのです。

つまり自分の意見も正しく、相手の意見も正しかったことを知るのです。見方か違うだけでどちらの意見も正しいことは良くあります。それよりも相手が一方的に間違っていることの方が少ないのです。だから相手の意見を聞いて受け取ること。その理由を知るために相手の立場に立つこと。そして相手の意見を理解して、自分の意見を伝えることが取るべき行動です。そこには批判はなく、見方についての議論があります。

立場を取れば見え方が変わります。相手の立場に立ち理解した上で話を進めたいものです。