コラム
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2013/9/30
1334    テヘラン空港事件

エルトゥールル号の事件のことは多くの人に知ってもらえるようになりました。その事件から100年以上経過した1985年3月、テヘラン空港に日本人が閉じ込められました。

当時のイラン・イラク戦争において、イラクのフセイン大統領が「48時間後、イラン上空を飛ぶ全ての飛行機は墜落させる」という宣言をしました。この時、テヘラン空港に残された日本人を救出したのがトルコの航空機でした。その時救出された日本人は215人いましたが、その中の一人が沼田さんだったのです。その時、沼田さんは「日本政府から見捨てられた」と思ったのですが、その次の瞬間「何故トルコの飛行機が救出してくれたのだろう」と思ったそうです。トルコ政府が危険を冒してまで救出してくれた理由が分からなかったのです。その理由が分かったのは2008年に見たテレビ番組でした。

その時、120年以上も前のエルトゥールル号遭難事件のことを知ったのです。そして沼田さんはその直後、和歌山県串本町を訪れています。その後エルトゥールル号事件のことを伝える講演活動を始めるようになりました。

ご縁をいただいた沼田さんとの懇談の中で、当時テヘラン空港で救出してくれたトルコの飛行機の機長が、今年の2月24日が亡くなったことを教えてくれました。享年87歳だったようです。

そして後に沼田さんが機長から聞いた話を教えてくれました。機長は「日本人を助けられたことを誇りに思う」と沼田さんに伝えたそうです。その機長はエルトゥールル号事件のことを知っていて、トルコ人が日本人に助けられたことに対する恩返しができることを誇りに感じ、救出の飛行機の操縦を志願してくれたのです。

自分のことではなくて120年も前のトルコ人が受けた恩を自分で返せることを誇りに思い、危険な救助に向かってくれたのです。歴史を学び、事実を知る、そして自分で行動することの尊さを感じます。

エルトゥールル号事件、テヘラン空港での日本人救出、そして125周年という流れを、この歴史を知る人が伝え次の時代に継承したいものです。テヘラン空港でこの歴史を体験した沼田さんが和歌山県とのご縁を保ち、講演活動をしてくれていることに感謝しています。

沼田さんの「串本町は私の命の恩人ですので、生涯を掛けてご恩返しをして行かなければと考えています」という言葉は心に響くものです。

エルトゥールル号の歴史を体験した人は現存していませんが、テヘラン空港の事件の当事者は存在していて、それを伝えてくれていることで歴史の証人として私達が関与できています。やがて歴史になっていく現代の出来事を語り伝えていくことは、時代に生きた一人として重要なことです。エルトゥールル号事件ことは物語として知っていますが、それよりもテへラン空港の事件が契機となり、トルコと日本の歴史を遡らせて、蘇えらせてくれているように感じます。

テヘラン空港の事件は報道を介してですが私達が目撃者です。わずか23年前の出来事を忘れさせてはいけません。沼田さんが講演活動をしてくれている。そして串本町が命の恩人であると話してくれている。そんな生きた感動に出会えてよい意味で焦りを感じました。「何かを成し遂げるための行動ができているのだろうか」。自分の心に問い掛けました。