コラム
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2013/8/12
1308    感謝の気持ち

「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」という言葉に接しました。直接は読んでいないので孫引きですが、この言葉の出典は「甘露の法雨」です。

当たり前のことですが、神の姿は見えません。実在するのであれば姿を現さないのはおかしい。姿を現さないのは実在していないからだという人がいます。しかし見えないから実在していないとは言えません。人間社会を動かしているものは見えないことの方が多いように思うからです。

ところで神の姿が見えないのは、実像を現してしまうとそれに固定化してしまうので想像できなくなるからだと聞いたことがあります。実像になっていないことで、人によって違うイメージの神を頭に描けます。強い力を望んでいる人は強い神の姿を描きますし、やさしさを求めている人はやさしい姿の神を描くことができます。想像によって姿が変わることで、神は誰にでも微笑みかけてくれるのです。

見えない神に感謝する心があっても、父母に感謝する心を持たないでいることがあります。

父母の愛は神の愛に最も近い愛なのですが、それを感じない、分からない人は神の愛が分かることはありません。損得、利益、名声など、何の見返りも求めないで注いでくれる愛は極端ですが、父母以外はどこにも存在していません。

父母は自分の人生を犠牲にしてまでも子どものことを考えています。自分の果たせていない夢を子どもに託そうとしています。自分が歩いて困難だと分かっている道を、事前に知らせて別の道に向かわせようとします。混じり気のない愛が父母の思いと行動の中に存在しています。

父母の行為に対して心で感謝していると、その心は神を通じて父母のところに届いています。光や銅線を伝う電気と同じように、心は光の速さで相手の心に届いているのです。メールで言葉を届けると、相手の温もりややさしさ、時には悲しみが伝わるのは、文字と共に心が届いているからです。メールに書かれている言葉以上の心が伝わってくる時があります。

「大丈夫」と書かれているだけなのに、受け取った側は「もう大丈夫」だと思ったり、「大丈夫ではないのに強がっている」と思ったりします。単語に心がついてきているので、発信者の心が伝わっているのです。

本心を言わなくても相手に心が伝わるのは、自分の思いを届けてくれるモノが存在していることを示しているのです。父母が自分に施してくれる愛を疑う人はいません。それは父母の思いは言葉があってもなくても伝わっているからです。

そんな崇高な心を受け取り感謝することは、同時に神にも感謝していることになります。見えないものに感謝できる心の持ち主は、神にも感謝できる人です。父母に感謝し、友人にも感謝し、自分の周囲にいてくれる人にも感謝をすることです。

先に書きましたが、感謝の気持ちは光速で走り、相手の心に届くことになります。メールが相手に届いて見てくれた頃、発信した自分も温かい気持ちになれるのは、相手に自分の心が届いた時に感じている気持ちを自分も感じているからです。

温かくなれる同じ気持ちを共有できることが感謝ですから、父母に、友人に、皆さんに、感謝の気持ちを届けたいものです。それは神の心に適うものになります。