コラム
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2013/8/9
1307    コトバの力

自分が吐いた悪口は、その悪口と同じような環境を作ってしまうという恐ろしい話を読みました。「幸せへのパスポート」(73頁、日本教文社)に掲載されている文です。

「聞いていない所ならよかろうと思うかも知れない。壁に耳あり、徳利に口ありと言われるように壁の耳が聞いていて、まるで録音機のように、悪口を呟きだす。ハッキリとした言葉になっていなくても、一種のモヤモヤとした雰囲気として、心の耳に聞こえてくる。それ以前に心と心は、どんな距離を隔てていても通じ合うから、悪口でも善口でも必ず伝わるのだ。そしてそのコトバが人生をそのコトバ通りに作り上げて行く。それをよく心得て作りたい人生をお互いに話し合うことである。

これはあまりにも簡単すぎるから、その効果を疑う人がいるかも知れないが、一年間実行すれば、必ずコトバ通りになることがわかるであろう。テレビドラマもコトバの筋書で作られるし、会社の会議の決定も言葉で作られる。

「どこそこへ転勤を命ず」という一通の辞令で、ニューヨークへでもロンドンへでも飛ばされる。これもコトバの力であるから、もしあなたが心の中で、「あなたなんか、どうせダメ人間だ」と呟いていたら、ダメ人生の吹き溜まりに「飛ばされる」に違いないのである」。

以上のような内容です。コトバが人生を作り出すのは知っていることですが、具体的な事例で示されると納得します。

言葉によって人は喜びがあり、幸せになり、時には嫌な気持ちになり、悲しむことがあります。そして書かれた言葉によって転勤になったり出向したりします。言葉の力が人を動かしているのです。言葉の背景には権力や権限があるのですが、その力を行使するためには言葉が武器になっているのです。この本では「武器製造工場」という表現を使っていますが、言葉は人を活かすための正義の武器にもなりますし、人を傷つけるための悪魔の武器にもなってしまいます。

ここまで書いて思い出したことがあります。小学校低学年の時に絵を描いていた時に先生に褒められました。「将来は画家になれると思うから、才能を伸ばすために美術学校に行ったらどうですか」と母親に伝えていたことがあります。それを聞いた僕は嬉しくなり、絵が好きになりました。尤も、絵の才能は開花させるための努力はしなかったので、全く絵心はありませんが。

もうひとつ。同じく小学校低学年の音楽の授業で音程を外して元気いっぱいに歌ってしまいました。先生から「音痴ね」と言われたことを今でも覚えています。その言葉が原因で僕は音楽が嫌いになりました。音楽というよりも音楽という科目が嫌いになったのです。ですら音楽成績もダメでした。

先生の言葉によって、図画を好きになり、音楽が嫌いになるのです。そしてその好き嫌いは一生ついて回ります。今でも絵は好きですが音楽はやや苦手なのです。美術館に行くのが好きなのは、小学校の時の記憶に基づく行動特性だと思います。

子どもの時に出会った言葉のように、大人になってからも言葉の力に強い影響を受けています。嬉しい言葉に幸せ感じ、酷い言葉に心を痛めます。せめて自分が発する言葉は、相手にとって幸せを感じる言葉でありたいものです。