コラム
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2013/8/1
1303    筋が良い

世の中は善悪がありますから、全て善で通すことはできないかも知れません。しかし筋が良いことは物事を正しく進めるために必要なことです。筋が良い依頼を受けた時は「やらなければ」だとか「何とかしたい」と思います。ところが筋の良くない依頼を受けた時は「関わりたくないな」、「多分上手くいかないだろう」と思います。

筋の良し悪しが最初から進め方を変えてしまいます。

ある弁護士との話です。「依頼者から依頼された事件を解決するために全力を尽くしますが、勝つために必要なことがあります。それは筋が良いことです。筋がよければ勝つための道筋がつけられます。それに筋が良いとやりがいがあります。勿論弁護士ですから筋が悪い案件でも受けますが、本当は筋の良い案件を弁護したいですね」。

世の中を善の視点で見るのか、悪の視点で見るのか。善の立場で関わるのか、悪の立場で関わるのかによって気持ちが違ってきます。

案件によっては、善悪全てに関わらなければならない弁護士であっても、やはり内心は筋の良い仕事を望んでいるのです。正義の立場に立った主張とそうでない場合は、内心が違うと思います。

個人的な推測ですが、筋の良い案件は、その通りにストーリーを構成し、法的見解を添付すれば良いように思います。ところが筋が悪いと、ストーリーを組み立てるのに無理が出てくると思います。場合によってはストーリーを変更し、組み立て直す必要がでてきます。依頼者の内心は分かりませんから、組み立てなおしたストーリーに合うよう内心までも構成し直す必要が生じるかも知れません。

筋が良いと無理は生じませんから勝つことに近づきそうです。

議員に対する依頼も様々です。筋の通った話もあればどうも辻褄が合わない話もあります。真面目な話、無茶を言っているなと思う話、脚色している話もあります。

その中で受けたい依頼は、やはり筋の通った話であり、誰が聞いてもその言い分が納得できる話です。筋を曲げなければならない依頼や正義から外れている依頼は、ストーリーを展開していく中でどうしても無理が生じますから、上手くいかない場合が多いのです。

筋が良いと常識的な価値や、助けなければいけないという価値がありますから、理論と心で話は進められます。しかし筋が悪い依頼は、理論ではなくて理屈になり、心ではなくてごり押しになります。進め方や内心は全く違うのです。

社会的には筋の良い依頼に基づいた対応をしたいと思いますし、筋の良い話が通る社会でありたいのです。無理が通れば道理が引っ込むような社会が蔓延してしまうと社会に秩序はなくなります。

弁護士など依頼者の立場や利益を守る必要がある職業の場合は別として、私達は筋の良い立場になり、筋が良いという価値を持っていたいものです。問題は筋の悪いところに生じますし、筋が悪いのに押し通すと誰かが迷惑することになります。自分の筋が悪いのに通してしまうと何処かで歪が生じます。自分の周囲が歪だらけになってしまうと、歪の中で生きることになります。真っ直ぐに見えない社会に身を置くと、やがて誰も近寄ってこなくなります。筋の良い話ができるような行動を取りたいものです。