コラム
コラム
2013/6/28
1282    結果とは

物事は見えないところで動いています。そして見えないものが大事なことが多いのです。

心や今の気持ちは見ることができません。しかし心や気持ちが、その人のその後の行動として表れます。心を全て語る人はいないように、交渉や駆け引きの内容を全て話す人は少ないと思います。

得てして結果を文字にすると、つまらないものに見えてしまいます。しかしたった一行や、たった一枚のペーパーにするために費やした時間と労力は表現しきれないのです。水面下の交渉や話し合いというものは存在しています。水面下という機会があることで、会議や委員会は多くの委員の同意を得られて進展するのです。もし水面下というものがなければ、会議や委員会で物事が決まることは難しいと思います。決るとしても長い時間を要することになると思います。

委員会は決議するところであり、何も決められない状態で開かれるものではありません。ある程度の説明や打ち合わせを行い、その結果、方向性をある程度見通せるようになってから開催されるものです。勿論、納得も同意できていないのに委員会で決議することは良くありません。公式な委員会の場で議論できないこともあるのは事実ですから、本音を言い合える水面下という場所が必要なのです。

見えるものよりも見えないものに価値がある、そして見えないものが大事な物だと聞くことがあります。アイデアや思いつきなどの見えないものがモノを作り出す原点になっていますし、心で思うことが現実のモノになるように、見えないモノが大事なものです。

見えているものは結果系であり、まだ存在してないモノは心や頭の中にある段階です。心や頭の中にあるモノは具体化される可能性があります。でも心にも頭にもないモノが人間社会に登場することはありません。不必要なモノが社会に登場することはないのです。誰もそれを願っていないのですから。でも悪や余計なものも現実に存在しています。それは誰かが必要だと思っているから形になったものなのです。

議員の存在も似ているところがあります。何をしているのか分からないと言われる時がありますが、それは結果だけを見ているからです。結果が表れているということは、それが導き出されるまでに何かの動きがあったということです。誰も何も思っていないことや水面下で交渉もしていないことが結果として出ることはありません。

見えないところで動いているから結果が出ているのです。何もしないでもその結果が出ていたことや、この問題に関わってくれる人がいなくても、この結果は出ていたということはあり得ません。残念なことに選択しなかったことが現実の結果になることはありませんから、その人が存在していなかった場合や水面下の交渉をしなかった場合の結果は、現実には存在することはありません。だからその人の存在の大切さが分からないのです。

自分が関与できる問題への対応であれば、自分で経緯が分かるのでその結果に納得するのです。でもあなたが関与した経緯を知らない誰かは、あなたの水面下の苦労も取り組みも知らないのです。だからあなたがいなくても結果は出ていたと思います。それに腹を立てても仕方ありません。それよりも結果があるということは、見えないところで誰かが働き掛けてくれたと思うことです。結果は誰かによって作られた結果なのです。