コラム
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2013/7/1
1283    無名の立場

こんな光景に出会いました。懇親会場に向かうためにタクシーを利用したいたときのことです。タクシーは優先道路を走行していたのですが、右側から女性が運転する車が進入しようとしていました。タクシーとの距離と速度を考えると、右側から本線に進入できない間隔でした。僕もそう思いましたし、慎重に運転してくれていた運転手さんもそう思ったようですが、危険予知をしてやや減速しながら進みました。そうすると右側から車がかなり強引に本線に進入してきました。タクシーは減速していたことから寸前のところで接触は避けられました。

その直後、信じられない光景に遭遇しました。相手側の女性運転手が車の窓をあげて文句を述べたのです。「どこ見ているんだ」と大声で叫んでいるのです。どう見ても本線を走行している車の進行を妨げる行為であり、接触事故になる危険性もあったのです。本来であれば窓を開けて「すみませんでした」という言葉が出る筈ですが、全く予想していなかった怒鳴り声が発せられたのです。唖然とするとはこのことを指すのでしょう。社会常識の欠如の様子を様々と感じました。

ここで感じたことがあります。有名なものの立場は弱く、無名の立場は強いことです。タクシーは会社の看板を背負って運転しています。勤務中の事故やトラブルはできない立場にあります。一方、無名の立場の人は、事故やトラブルがあっても会社に迷惑は掛かりませんから責任の無い立場でモノを言います。

看板を背負っている立場、つまり責任ある立場の人は自分の意見ではなく、会社を代表する立場でモノを言うことになりますから、強い姿勢では臨めないのです。責任者と責任を負わない立場の人とのトラブルは、どうしても無名の立場の人が強くなります。

有名企業や有名人のその行為や発言に対して、時には批判やバッシングが凄まじく、社会から追い出してしまうような情報や報道があります。有名な立場にある人は、却って立場が弱いことを無名人は感づいているのです。責任のない立場の人が発言しても、相手はそれに対抗できないことを、です。

今回の事案ではタクシー会社の看板を背負っている運転手は、悪くないけれども立場が弱くなります。もし口喧嘩になり会社に通報されてしまうと、運転手が会社から注意などされることになります。悪くなくても会社の看板があるからこそ注意されてしまうので、自分の正当性を現場で主張できないのです。

勿論、事故になれば警察が入るので話は別ですが、事故にならない案件の場合、責任を負わない立場の人が強くなってしまうのです。

少し不公平を感じます。一方が責任を背負っていて、一方は責任がない立場であれば、対等に話し合えないのです。企業や有名人は社会という怪物を恐れています。社会は社会に暮らす人の心を反映するものですから、個々人のモラルが低いと社会は恐ろしい怪物になるのです。社会のモラルの低下は個人のモラルの低下とイコールです。

ちゃんと走行していたタクシーの運転手が、ルールを無視した運転をしていた運転手に怒鳴られる案件は、そんな社会構造を示しているように感じました。責任を負わない人が責任ある立場人がモノを言えないと知って批判するのは、人としてのルール違反だと思います。