コラム
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2013/6/27
1281    何故勉強をするのか

あるテレビ番組で「何故勉強をするのか」という質問に対して東進ハイスクールの林修先生は、解決と創造のためだと答えました。勉強が社会でどう生かされるかを示した明確な回答です。勉強は問題解決のために役立つものですし、新しいものを作り出す、新しい考え方を導くために役立つものです。勉強をしなければ解決も創造もある程度の段階で止まりますから、自分が希望する高い次元に到達することはできないのです。

「国語は分かるけれど理科の勉強は役立たないと思う」という未成年からの質問に対しても答えもありました。林先生は、「みんなは携帯電話を持っていますか。全員が持っていますね。では携帯電話を設計している人や作っている技術者は知識はいらないと思いますか。理科を勉強して得た知識があるから携帯電話を作れているのです。理科の勉強は全ての人にとって不要なものではないのです。役立てようとする人にとって役立つものなので、役立たないと思っている人にとっては役立てないものとなります」。こんな回答だったと思います。

学問が役立たないものではなくて、受け取る人に問題があるのです。それは「役立たないので勉強をしても無駄」だという思いを持っているのです。

では「歴史の勉強は役立つのですか」という質問に対しては次の答えでした。

「歴史の年号だけを覚えても仕方ありません。歴史からは敗因を学ぶことができます。敗因の要因は三つです。情報不足、慢心、そして思い込みです。歴史から学ぶことはこの三つで、勉強だけでなくて仕事や人間関係で活かすことができます」。人は歴史から学ぶ必要がありますが、それは人生において負けないことを学び取れることができるからです。現代人にとって歴史は結果を知ったうえで関ることができます。どんな戦略、どんな考え方や行動が勝利につながったのか。逆に敗北につながったのか。現代人は空の上から眺められる立場にいますから、結果までの全てを見通せるのです。

自分のことを客観的に、そして高い場所から見ることは難しいので、偉人の生き方を神様の視点で見ることにより考え方や行動を修正していけるのです。残された歴史には偉人が登場します。偉人の行動に学ぶことで勝つことからも負けることからも、生き方を学ぶことができるのです。

最後にひとつ。「努力は裏切らない」という言葉がありますが、正しくはないことを知らせてくれました。正しくは「正しい場所で、正しい方向で、十分な量を行った時の努力は裏切らない」というものです。場所と方向、そこに十分な努力の量を付け加える必要があります。十分な努力こそ自分が望む結果を導くために必要なことです。

場所は自分が立つ場所のことであり、自分の目指す目標を持ち、そこを目指せる場所に立つことが始まりです。スタートラインに立つことをしなければ何も始まりません。そして方向を明確にする必要があります。進学を希望する学校、職業、人生において到達したいところなどを明確にすることで方向は定まります。方向を間違えると逆に進行しますから思うところには行けないのです。

そしてと十分な量の確保は重要です。量質転化のことは以前のコラムに書いていますが、量が質を高めます。質を追求していても質は高まらないのです。努力の量を確保することでその成果が導かれるのです。