コラム
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2013/6/11
1270    献血の意味

社会貢献活動として献血のお手伝いをしている時の出来事です。献血に協力を求める啓発のためティッシュを配布していました。献血できるのは原則として60歳までの人ですから、それ以上の年齢の人は献血の対象外となります。僕はスーパーの入り口に向かって歩いてきたおばあさんにティッシュを配りました。

そうしたところそのおばあさんは「あなた、私にティッシュをくれるの。私にティッシュをくれたのはあなたが初めてですよ。とても親切にしてくれてありがとう。例えティッシュ一つでももらえると嬉しいのですよ。私はおばあさんだから献血できないと思って、今までは誰もくれなかったし相手にもしてくれなかったの。こんな親切にしてくれたあなたに感謝しています。私は献血ができないとしても、子どもや年下の友人は献血ができます。子ども達にも今日のあなたの親切な行為を伝えます。子ども達は献血をしてくれると思いますから。あなたはとても親切そうなお顔をしていますね。」と話しかけてくれました。

僕はティッシュを渡す人を選別しませんし、一人ひとりに挨拶をして渡しています。小さな子どもであっても高齢者であっても、みなさん同じように挨拶と共に配布しています。理由はとても簡単で、選別する必要がないからです。このおばあさんが言っているように、献血宣伝用のティッシュを受け取ってくれた人が自分で献血ができなかったとしても、家族の誰か年下の友人に話をしてくれるかも知れないからです。

もっと言えばそんな理由も必要ありません。献血できなくても、してくれなくても良いと思っています。献血を呼び掛けている人がいることで、助け合いの社会は成り立っていると思ってくれるだけで良いのです。

献血ができないとして、自分のできることで社会のお役に立つことを思ってくれるかも知れません。人と同じ行為で社会貢献をしなくても、できる社会貢献をしようと思ってくれたら成果があると思うのです。

人に優しく接したら、その優しさをその人から自分は受け取れませんが、その人が誰から優しい気持ちになるとしたら、それはそれで良い連鎖を生み出していることになります。良い連鎖を作ることができれば、献血奉仕活動の意味があります。

そしてティッシュを受け取ってくれた人に対して「ありがとうございます」と声を掛けています。そうすると受け取ってくれた人も「ありがとう」と反応してくれるのです。今の時代、ポケットティッシュをもらっただけで喜んでくれる人は少ないと思います。それでもティッシュの受け渡しだけで「ありがとう」という言葉と感謝の気持ちが飛び交っているのです。これは凄いことなのです。何もないところに「ありがとう」の言葉は登場しませんし、感謝の気持ちは表面化しません。小さな行為が二人に幸せの言葉を言わせることになっていますし、感謝の気持ちが交わされることにつながっているのです。

たった一つのポケットティッシュを配布する行為ですが、そこに小さな交流が生まれています。献血への誘導、感謝の気持ち、そして「ありがとう」の言葉。これだけの効果がある社会貢献をしているのですから、誇りと自信になります。

表情のない人がティッシュを受け取り、挨拶を交わす時、少しだけ照れるような笑顔になってくれます。小さな行為から笑顔を生まれる。そのことに幸せを感じます。