コラム
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2013/1/30
1188    やわらかい心

毎日を懸命に生きていると、出会いたくない案件や言葉に出会うことがあります。そんな案件に関わったり、感じの良くない言葉に出会うと精神的にきつく感じることがあります。きついと言うのは、晴れ渡っている心に黒い雲が覆い被さるような、やや重い心に変化することを言います。

自分の心を他人の言葉の影響を受けて、晴れから曇りに変化させられると、やがて心に雨が降ることになります。雨が降っている心は寂しくて、「雨が止めば良いのに」とそのことに心が占拠されてしまいます。

どうすれば良いものか。そんな思いをめぐらせている時に元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手の言葉が飛び込んできました。

「なんとかなるものであれば、解決しようと知恵も絞りますが、自分の力でどうにもならないものについては、あれこれ考えません。そうしたことをくよくよ考えるのは時間と労力の無駄だし、精神的にもあまりよいことではないと思うのです」という言葉です。

これと同じような主旨の発言もあります。

「自分にコントロール出来ることと、出来ないことを分けて、出来ないことに関心を持たないことですよ」、「記者が書くことは僕には制御できない。だから何を書かれても関心がないんです」という言葉です。

自分で何ともならないことで心を砕くことは良くないことです。自分でコントロールできないこと、自分で制御できないことに対して「どうにかならないものか」とあれこれ思っても仕方ありません。つまり自分が決してコントロールできないことに関してあれこれと思い悩むのではなく、自分がコントロールできることだけに関心を向けると心に晴れ間が戻るのです。

こう書くと簡単ですが、コントロールできないことに無関心でいることや、心を曇らせないことは簡単なことではありません。

では心はどう保つと良いのか。ここでも見事に素晴らしい言葉が飛び込んできました。今度はインテル・ミラノの長友佑都選手のおばあちゃんの「心をやわらかく、ふにゃふにゃでいきましょう」という言葉です。

私は心をやわらかく保っている方だと自分で思っていますが、もっとやわらかく、ふにゃふにゃに保つ方が良いと気付きました。硬いものは衝突し時には壊れますが、ふにゃふにゃのものに硬いものが衝突しても吸収してしまいます。そして時間の経過と共に元の姿に戻るのです。心も同じて壊れてしまうと回復には時間が掛かりますし、壊れた心はまた誰かの心を傷つけることに向かいます。

ふにゃふにゃな心は傷つきにくいのです。人の言葉が心に突き刺さらないように、人の嫌な言葉は正面から受け止めてしまわないように、心はやわらかく、もっとふにゃふにゃに保っておきましょう。やわらかく、まあるく、そしてふにゃふにゃに。いつも心が晴れている状態を作ってくれます。