コラム
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2012/12/5
1156    南紀徳川史

知らないこと、見たこともないものに関して話をすることはできません。

ある時、懇談の最中に「南紀徳川史を読んだことはありますか」と質問されました。何のことか分からなかったので「ナンキトクガワシ??」と尋ね返しました。

再度「南紀徳川史を知らないのですか」と問われましたが、知らないものは知りませんから「見たこともありません」と答えました。

このことから次のことが分かります。知らないことや見たこともないものに関しては、議論をすることができないという事実です。このことから社会においては一定レベルの知識が必要だということが分かります。議論をして話し合いが深まったり、知識レベルが高まったりできるのは、お互いに相手がこの議論に関する最低限の知識を持ち合わしていると信用しているからです。その議論に関する知識のない人が加わっても議論は深まらないばかりか、基礎から説明する必要が生じるので時間が経過するだけになります。

義務教育の勉強が必要な理由は、社会で生きるための最低限の知識を獲得するためです。社会で生きるための生きる力を得るには、会社や人と仕事するために必要な知識を得ることが必要条件です。日本語だけできる人と英語だけできる人が日本語と英語で議論をしても意味がないように、社会で必要とされる最低限の知識がなければ、議論の中からは何の進展もないのです。

知らないことを論じることができないように、見たこともないものを相手に伝えることができないように、知ることや見ること、経験することは生きる力を養うためにとても重要なことなのです。

南紀徳川史に関しては、その後「見たこともないので一度書棚を見せて下さい。読んでいなくても見ておくだけでも話しに応じられることができますから」と言って拝見させてもらいました。「そうそう、どんなものか見ておくだけでも大事なことだからね」と書斎に案内してくれました。

南紀徳川史は全18巻。慶長7年の徳川頼宣の誕生から、廃藩置県に至る迄の紀州藩270年の通史のことです。紀州徳川家の読み物ですが、わが国において紀州がどれだけ大事な地域であるかが分かる歴史書だと聞きました。紀州人の影響力や熊野に代表される地域力は、長くわが国を支えてきたようです。今でこそ当時のような存在感は失われていますが、歴史の中から誇りを感じ取ることができるようです。

南紀徳川史全18巻拝見して、その量と厚さ、読み難さなどが分かりました。内容を理解するのは難しいと思いますが、その存在を知ったことから次にこの話題が出た時は、知っているところから会話を始めることができます。議論が成り立つためには、その基礎的な知識を知っておくことが必要なのです。

私達は知らないのに知っているふりをしたり、難しい部分を素通りさせていることがあります。でも社会で楽しく有意義に生きるためには、知識人が知り得る最低限の知識を得ておくことが必要なのです。