コラム
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2012/6/29
1066    センターポジション

芸術家の先生と話しをした時のことです。「練習に来ている生徒さんに発表のための舞台を用意しています。お客さんに見てもらうことが上達につながるからです。発表の場において団体で歌や踊りを披露する場面があります。その時の配置がとても難しいのです。練習生はセンター、またはセンター付近に立ちたがります。中心で踊りたいという気持ちは分かります。しかし配置を決めるのに気を使います。本来であれば、一番上手な生徒をセンターに持ってくるのですが、それだけではセンターは務まりません。お客さんの視線はどうしてもセンターに行くので、技術が同程度、または多少低くてもミスの少ない生徒を優先します。また全体調和や曲によって配置も検討する場合があります。必ずしも一番上手な生徒がセンターに行くとは限らないのです」。

誰でも一番目立つセンターを狙うのは当然のことです。しかし上手なだけではセンターに立つことはできないのです。ミスを少なくすることや、集団の場合は他の生徒とのバランスなども考慮して決めるからです。

舞台全体を眺めてきれいに見える配置を考えるのがプロデュースする先生ですが、それが問題になるのです。人は感情が入ります。プライドやジェラシーは表面からでは分からない場合があります。舞台を終えた後、突然、団を退団する生徒もあると聞きました。上手な生徒が退団していくのです。その理由はセンターに立てなかったことです。どれだけ理由を述べて説得しても意思は覆らないようです。人の心は難しいものです。

ですからセンターを決めること、務めることは大変だと話してくれました。たとえ先生でも、一人でセンターや配置を決めてしまうと、集団が乱れることがあるのです。生徒間のジェラシーやプライドが集団を乱します。

だったらみんなの意見で配置を決めることは極めて公正な手段です。みんなの意見は案外正しいという本があるように、民主主義は人の選抜や関係について公正な結果を導いてくれる手段なのです。誰かの推薦や特定の権力者の意思に基づいて議会議員を決めるのであれば、必ず不満が発生します。選挙権のある人が選挙によって決める方法でも不満は生じると思いますが、他の方法よりも公正なのです。特定の人が決めた議員ではなく、みんなで決めた議員だから認めようとなるのです。多くの人の意見をまとめることは難しいことですが、投票によって決めるのであれば投票に参加した人はその結果に従うのです。

直接選挙で選ばれた地方の首長は自分たちで選んだ代表ですが、日本の総理大臣は有権者が直接選んだ人ではありません。有権者が直接選んでいない人が最高権力者ですから、その人が有権者との約束を果たさない政策を実行しようとする場合、そのやり方に疑問を感じるのです。センターに立つ人は、やはりみんなの意思で選ばれることが正しいような気がします。プロデューサーが選んだセンターにはメンバーからも不満がでるでしょぅが、みんなから支持された人がセンターに座るのであれば納得できます。

解決が困難に問題の多くは感情が絡んでいる案件です。感情を除外することは難しいので、当事者だけではなく、みんなの意思の力で解決に向かわせることが必要になります。