コラム
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2012/6/5
1049    天下分け目の関が原

天下分け目の関が原。日本人ならこの歴史を知っていますし、その後の日本が転換した事実も知っています。正に豊臣軍と徳川軍が天下を賭けて争った歴史上の大戦です。このことから大きな転機になるような場合、「天下分け目の関が原」という表現を使うことがあります。不思議なことに関が原の地に立つと、存在している訳はないのにその時の様子が浮かんでくるから不思議です。

そして関が原から東の地域が関東、西の地域が関西と言われる語源にもなっていますから、日本にとってその後を決定した重要な歴史なのです。

そして関が原の戦いについて話を伺いました。もしも西軍の総大将が豊臣秀頼だったとしたら、豊臣軍が勝利していたかも知れないという推察です。関が原の戦いにおいて豊臣秀頼は大阪城に立て篭もり、西軍の総大将であった毛利輝元も戦いの現場にいなかったのに対して徳川家康は陣頭に立っていました。

このリーダーの差が結果となって現れたというのです。確かに、トップが現場にいないのでは士気が高まりません。親分がここにいなければ頑張ろうと思う気持ちにならないものです。逃げるリーダー、自分は安全な場所にいて部下を現場に出すばかりのリーダーに人はついていきません。時には危険を省みず陣頭指揮に立ってくれるのがリーダーです。

歴史にもしはありませんが、もし豊臣秀頼が関が原にいたとしたら、毛利輝元が関が原にいたとしたら、西軍が勝利していたかも知られないというのです。そうした場合、日本の歴史は大きく変わっていたことになりますから、リーダーのその時の判断が後の歴史を変えてしまうのです。しかも西軍の総大将が人望のない石田光成でした。人は人望のない人のためには決して動かないものです。人を動かすためには、歴史を創るためには、どれだけリーダーの存在が大切なものは歴史が教えてくれています。

同じ仕事をしても、このチームは成果を出すのに、あのチームは成果をあげられない場合があります。チーム力は構成員の総和に加えリーダーの信望力が乗じられます。しかもチーム構成員の力量は変数ですからリーダーの力が高ければ、底上げができるのです。

つまり構成員の力が小さくてもリーダーの資質によってはチーム全体の力量が高まり、チーム力の高いチームにも勝つことができるのです。

さて関が原です。近世の出発点は織田信長からだと言われています。そして1600年の関が原の戦いはその後を決定付けた出来事でした。淀君が子どもである豊臣秀頼を可愛がる余り息子を戦場に出すのに大反対していましたが、そのことが西軍敗戦の大きな原因になったのです。

天下分け目の時はリーダーの力量によって結果が左右されることになります。大きな戦いになればリーダーの力量がモノをいいます。どちらの懐が深いのか、どちらの人物が親分なのかどちらが逃げないのか、そんな人物としての力量が問われます。今の歴史を生きている私達は、常に歴史を転換させる力を持っています。適切な判断ができる考え方を持っておきたいものです。