コラム
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2012/6/4
1048    自分の存在

「片桐さんのホームページを見ていますしコラムも読んでいます。少し見る日が開くと読むページが多くなってしまうので、本を読んでいるようになってしまいます」という話を下さいました。とても有り難い感想です。

こうした反応をいただくことは張り合いになり、また励みになります。眠くても「今日も書いておこう」という気持ちになりますし、最後まで書き切るこができるのです。

そしてもう一言がとても嬉しい感想でした。「片桐さんのコラムを読んでいると小林正観さんの話のようです。私も子どもも小林正観さんのファンで本を読んでいるのですが、片桐さんの話を聞いたり読んでいると同じような感覚を持ちます」という感想です。

これは凄いことです。小林正観さんは私も大好きな人だからです。残念なことに平成23年10月にお亡くなりになられていますが、その著書に記されている精神や考え方は時代を超えて伝わるものであり、人として持つべき普遍な心を教えてくれています。小林正観さんの著書はたくさん読んでいますが、共感させられることがとても多く、本にはアンダーラインを記しています。

比べること自体おこがましいことなのですが、そう言ってもらえることは嬉しいことなのです。

更に「片桐さんの話を直接聞く機会もありますが、多くは活動報告で拝見させてもらっています。皆さんにも見て欲しいと思っていますし、県政報告の内容や各種懇談会などでの挨拶を読むと、とても学べることがあります。直接、聞きたかったと思うことがあるのです。子どもにも活動報告をプリントして読んでみたらと渡す時があります。録音をしたり録画をしておいて私達に伝えて欲しいと思います」という言葉も頂戴しました。

そんな人物ではありませんが、思い切って伝えてくれた言葉ですから、消えてしまわないように残しておきます。この言葉を残す理由は、この言葉に恥じない行動と考え方を持ち続けるためです。小林正観さんは最後の瞬間まで潔い生き方をしていたと思いますし、病床で書かれた最後の著書でも、生きることがどれだけ素晴らしい贈り物であるかを伝えてくれています。

一人でも一瞬でも比較してくれたのですから、恥じない生き方を続けたいと思っています。そして一人でも楽しみに読んでくれている人がいるのであれば、読んだ後に残るものであり、何かお役に立つような内容のものにしたいと考えています。

そしてお褒めの言葉を聞かせてくれた方の自動車に乗せてもらった時、小林正観さんの声が聞こえてきました。小林正観さんが講演した時のCDをいつも車中で聞いているのだそうです。初めてその声を聞きましたが、聞いているだけで元気をもらえるような声でした。出来るものであれば、一緒にいるだけで元気になれる、話をすることで元気になれるような存在でありたいものです。

自分が気づかない間に誰かに何かを伝えられているのであれば、こんな嬉しいことはありません。無理をしないで自然と、自分が社会で役立っている存在でありたいものです。