コラム
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2012/5/9
1032    本気と結果

五十嵐貴久さんの作品はどれを読んでも面白くて時間の経過を忘れます。夜の活動報告を書き終えて読書をする時がありますが、五十嵐さんの作品を読んでいると、寝るのがすっかり遅くなってしまいます。「2005年のロケットボーイズ」や「1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター」の面白さは半端ではなく、一つのことに打ち込むことの素晴らしさ、そして、その結果が伴わないとしてもやらないよりも絶対にマシなことを伝えてくれます。

「2005年のロケットボーイズ」にこんな台詞があります。「ぼくはずっと傍観者だったからね」、「その方が楽だし、カッコいい。そうだろ。だけど、どこかで一度ぐらい当事者になってみたいって思っていたんだな。自分でもわかんなかったけれど」。小型の人工衛星であるキューブサット製作に取り組む高校生達の物語です。当初、学校の事情から無理やりに製作をさせられることになった主人公達が夏休みを返上して製作するに連れて、次第に真剣になっていきます。傍観者でいることがカッコ悪いことになっていくのです。

当事者になると仕事をしなければならない。分担したことに対しての責任を負う。支出が伴う。心配事が増えるなど責任を持つことになります。人は得てして責任をとりたがらない性質を持っていますし、楽な道を選択します。しかしいつも傍観者だとつまらないのも事実です。時には本気で打ち込む。時には自ら行動を起こしてみることは生きている中で絶対に必要なことです。「本気」がないと何のために存在しているのか分かりません。

それは光を浴びる場面に立つこととは違います。どんなに注目されないことであっても、他人から見たらどれだけつまらないものであっても、何かに賭けることは生きていることであり、その後の人生に変化を与えてくれます。

何事にもやる気がなかった主人公は、キューブサット製作に関わったことから人生が変わります。無理やり押し付けられたキューブサット製作から発展して宇宙開発事業の仕事就くことになります。本気で取り組んだことが生涯の仕事になったのです。

トラブルが発生した時、「そうでなきゃ面白くないだろうが」、「機械じゃないんだぞ、おれらは。全部計算通りにいってたまるか」という主人公の台詞が堪りません。これが人生なのです。思った通りに行くことは稀なのですが、人は自分が思った通りに進まないと不満を抱きます。そしてその責任を人に押し付けたり、関わってくれた人を批判します。それは最悪で、責任を取れない人や協力者を批判する人のへの信頼は消え、その後、人は集まらなくなります。つまり一番大事な信頼を自ら失わせてしまうのです。

社会で生きいているのは人であって機械ではありません。インプットした通りにアウトプットされない場合が大半です。それでもインプットをしなければ結果は得られませんから、責任と覚悟を持ってインプットする行為が大切なのです。

普通に生きている主人公と仲間は遭遇する困難に立ち向かい、結果は思っていた最高のものでなくても後に続くものとして残ります。そんな生き方を五十嵐さんの作品は教えてくれます。朝まで読み続けるのは、その本気を受け止め、自分の人生においても本気になりたいからです。本気になれば結果は変ります。