コラム
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2012/5/1
1028    生きる力を感じるには

生きる力っていうのは思っている以上に凄い力があることを知りました。お釈迦様の生誕の日、生命の力について話を伺いました。生きている力の凄さを体感するには息を止めてみることで分かります。三分間、息を止めて見て下さい。「生きていても仕方ないので死んでも良い」とか「生きていることの意味が分からない」と思っている人は三分間だけ息を止めて下さい。多分、苦しくなって息を吸い込もうとする筈です。そのまま息を止めて死んでしまう人は多分、いないと思います。それだけ生きようとする生命力は強いのです。

生命は私を生きさせようとしているのです。

もし生命が私を生きさせようと思っていなかったら、息を止めて苦しくなってもそのまま息をしないで生命を終わらせてしまうのです。そんなことはありません。苦しくなったら息をして生きようとするのです。それが生きる力であり、生きようとする力があるのは、この世で自分ができる何かを達成するために与えられているのです。

生命力、つまり生きる力が与えられている私達は、まだやるべき役割が与えられているのです。

いつか息をしたくても息ができなくなる日が訪れます。その時になって、「これから何かをやらなければ」と思っても、それを成し遂げることはできません。気付いた時期が遅すぎるのです。息を止めようと思っても止められないこの時こそ生命力に満ちている時間で、生命力に満ちている時に行動を起こさない人は真に生きているとは言えないのです。

ある程度の年齢になれば自分に与えられている役割を自覚して、限られた生命力をそこに集中させたいものです。行動できる時間は限られていますから、あれもこれも一流の仕事はできないことに気付くべきです。一流の仕事のやり方で何かひとつのことを達成することが、生きていることを感じられることに気付くべきです。

何度も記していますが1,000日の法則があります。一つのことを達成するために必要な準備期間の日数です。3年間、目指すものを継続し続けて初めて出発点に立てるのです。1,000日やり続けて、その分野に精通している人物として社会から認められるのですから、人生の限られた時間の中で複数の分野で一流に到達することを目指すよりも、一つの分野で一流に到達するための行動を起こしたいものです。

私達は意識しないでも息ができていることは、正に生命力に溢れている証拠です。意識しないでも生命が与えられているのですから、安心して自分がやるべきことに意識を向けましょう。健康を害したり、生命の危機に遭遇した場合、生きることに意識が向き、それ以外のことに意識を向けることはできないのです。

生命も健康も意識しないで生きていられる時期は行動する時期です。行動することが生きていることだと言われるように、今日を生きるとは今日を行動することです。

何かを見失いかけた時は、息を止めて生きていることを実感しましょう。その時も、きっと苦しくなって息をしようとする筈です。つまり生命力が漲っている自分が今日もそこにいます。生きようとする力は、私達は意識しないでも持っているのです。