コラム
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2012/4/11
1016    一流か二軍か

ダルビッシュ有のメジャーリーグへの挑戦。その放送を見て得るべきものがたくさんありました。ダルビッシュ選手がメジャーに行くのは次のような理由です。WBCで二連覇するなど、どれだけ日本の野球のレベルが上がったとしても米国からは認められない現実があるので、それならば自分がメジャーに行き世界一の投手になることで日本の実力を世界に示したいと言うものです。この意気込みを聞くだけで日本人として応援したくなります。

何もしないでいるよりも自分が挑戦できる立場であれば、そこに挑戦することが素晴らしいことなのです。

その原点はダルビッシュ選手がプロ入団二年目にあります。ヤクルトとの試合、試合途中でノックアウトされ二軍に行くことになりました。そのプロの壁にぶち当たった時、考えます。「今の自分は中途半端な状態である。この先、上に行くか下に行くか考えた。プロとして一流を目指すのか。それとも二軍でいるような選手でいるのか。あの試合で考え方が変わった」のです。今のままで良いという状態は実は中途半端なのです。時代は前に向いて進んでいますから、同じように前に向かないと今よりも下に落ちることになります。

同じ前に進むのであれば、覚悟を決めて一流を目指す選択肢を選びたいものです。人は成長していく覚悟を持つべきで、ただ生きているだけなら生きている意味はないのです。

人はある程度のところ、つまり人生で達成すべき自分なりの頂点を目指す旅の途中で、「もういいか」と思う時があります。その状態でいる時が中途半端な時で、人にはそこから上を目指すのか、もうそこで良いと思うのかを決める時期が訪れます。もう良いと思うと楽で良いのですが、そこまでです。上を目指せる場所にいるのであれば、一流を目指すことが自分の人生の頂点を目指すことになります。しんどいけれども、その成長の過程を持つことが幸せなことなのです。

そして上を目指す機会は何度も訪れません。スポーツに例えるととても分かりやすいのです。テニスのロジャー・フェデラー選手は大好きな選手です。ウィンブルドン5連覇を達成しています。しかし二度と5連覇に挑戦することはできません。プロテニス選手のピークは一度限りで、プロでいても5連覇に二度挑戦することはできないのです。記録が途絶えても、もう一度記録に挑戦できると思って戦っていないのは確実です。

何かの挑戦の機会が与えられた場合、その瞬間だけが生涯で一度だけ挑戦できる時間なのです。社会人の場合、毎年同じことが繰り返されているように錯覚しているので、その仕事が、その取り組みが、たった一度の挑戦の機会であることに気付かないのです。機会を確実に自分のものにできた人に次の挑戦権が与えられます。二連覇をしなければ三連覇への挑戦ができないように。

ダルビッシュ選手の挑戦も一度限りのものなので、人生を賭けた挑戦を応援したくなるのです。勿論、メジャーへの挑戦には二年から三年の準備期間をおいて万全の状態での挑戦となります。メジャーの打者との戦いを「イメージ以上だと思いたいし、それを楽しみにしている」という発言がありました。自分が思っている以上の世界であって欲しいし、イメージしている以上の世界で戦い、それに勝つことを目指している強い意志が感じられます。イメージのところで戦い続けても楽しくありませんし、その立っている舞台以上に成長しません。次の舞台に挑戦する気持ちと、挑戦できる楽しみを持って新しい人生の季節に挑戦したいものです。