コラム
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2012/4/9
1014    持っているものだけが渡せるもの

これは間違いなく世の中の法則です。自分が持っているものだけが誰かに渡せることが出来るのです。逆に言えば、持っていないものは絶対に渡せることは出来ません。ですから社会で役立つ人になるためには、まず自分が持つ人にならなければなりません。

モノに例えると具体例が分かります。大災害の被災者に義援金を贈りたいと思ったとします。しかし自分がお金を持っていないことには義援金を贈ることはできません。義援金は金額の多少ではないのですが、ある程度のゆとりを持っているか、特別な事情がない限り義援金を贈るという行動にでることはしません。

家に子どもが習っていたピアノが自宅にあり、自分では不要となっていて親しい知人が欲しいと思っている場合には譲り渡すことは可能です。ピアノを習って弾ける人だったら、ピアノを教えることができます。この場合も持っている技術を、ピアノを習いたい人に渡せるのです。

渡せることができるのは自分が必要なお金を持っている場合であり、自分がピアノ持っているからです。自分が持っていなければ、何とか支援したいと思っても支援するための具体的行動に移すことはできません。

精神面でも同じことが言えます。優しい心を持っている人は、誰かに優しく接することができます。強い正義の心を持っている人は困っている人のために社会に立ち向かうことができます。優しくなければ優しくできませんし、強く正しくなければ社会の正義を貫けません。そんな心を持っている人が、社会にそれを渡すことができるのです。

そして重要なことは、それを持っている人のところにそれが集まることです。優しさを持っている人のところには優しい気持ちの持ち主が集まります。正義の心を持っている人とのところには正義感のある人が集まります。これが大事なことで、優しさの集団はより優しい社会を築く基になりますし、正義の集団はより正義の社会を築く核になります。

反対の場合は困ります。冷たい心の持ち主は冷たい心を誰かに渡すことになりますから、そんな集団が集まると冷たい社会へと向かいます。強いけれども正義ではない集団が集まると社会から正義は小さくなります。

持っている人だけがそれを誰かに、そして社会に渡せるものですし、持っている人のところに同じものを持ちたいと思っている人が集まります。持っているものを渡された人は同じものを誰かに渡すことになります。

私達はきれい事を言う前に、まず持たなければなりません。持たないで言うだけでは行動に移せないからです。社会に渡すべきものを持つ努力をしていない人が、自分の持っているものを渡そうとしている人を批判することはできません。例え自分の持っているものが小さなものであっても、渡そうと行動している人が素晴らしいのです。

自分が持っているものは何なのかを考えることが大事です。持っているものが小さければ、社会が必要とする位に大きくする行動をして誰かに渡したいものです。そして持つものが大きくなれば社会で必要とされる人になっているのです。