自分が思っていても、遠くから見つめているだけでは相手に伝わらないものです。好意を寄せている相手がいたとしても、その相手が意識する距離に近づかないと思いは伝えられません。思いを伝えるためには相手に近づくという行動を起こす必要があります。意思を伝えるためには行動を起こすことが最も大切なのです。
思っていても秘めているだけでは伝わらないのです。最も感性の強い人は、こちらの思いを受け止めてくれるかも知れませんがそれは稀なことです。稀なことを待ち続けても、叶う可能性は限りなくゼロに近いものです。
内面に秘めているものを必要な相手に伝えること。これが自分の思いを実現させるために必要な行為です。ところで秘めた思いが実現しないのには理由があります。それは自分が思っていることに対して自分でブレーキをかけていることです。アクセルを踏みながら、急速に動かないようにブレーキをかけているのです。アクセルとブレーキを同時に作動させることはしないと思うのですが、自分でそんな行為を行っていることは分かります。
動かそうとする力よりも止めようとする力の方が強いようです。動かないことが最も簡単だからです。その理由が自分だけで解決できるものだったら、決断次第なので比較的簡単ですが、自分の決断によって大きな影響を与える人が関与している場合は簡単ではありません。意志の力を言葉に置き換えることができなくなるのです。
内心を思いのままに表現することは難しいのです。その結果、本当に思っていることと違う現実が繰り返されます。現実として現れているのは、自分が心のどこかでそう思っているからなのです。
それを解き放つのは、やはり意思の力なのです。あるべき未来が見えているのに、真っ直ぐに辿り着けない。明かりが少ない曲がりくねった道を歩き通せるだけの気持ちを持っている人の処に未来の太陽は昇ります。
下を向いている人は限りなく多いのですが、上を向いている人はほんの少数派です。上を向くことは自分に負荷をかけることになるからです。上を向くことができるリーダーは期待を背負うことになりますから、どんな時も意思の力を持たなければなりません。
自分で何とかなるものは意思ですが、他人の言葉に影響されるのも意思だから厄介です。
自分の心の中のアクセルで動かせる意思。自分の心の中のブレーキの影響を受ける意思。そして他人の言葉に動揺する意思。どれが強く出るかで自分の前に訪れる現実は違ってきますから、他人の言葉の通りになる現実は見たくはないものです。
みっつの意思の中で、一番強くしたいのが自分の心の中のアクセルで動かせる意思なのです。
普通だったら会うことができない「奇跡の人」と会って、話し合った時に心を巡った思いです。