782. 下天は夢幻か

織田信長が好んでいたのが「敦盛」。その一節、「人間50年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」。この一節を聞くと、小学校の時に夢中になって見ていた大河ドラマ「国取り物語」を思い出します。織田信長の生き方を好きになったのは、日本史を習っている最中の時に見た「国取り物語」があったからです。人生わずか50年の本当の意味を知らなかった小学生でも、限られた人生を生きることの大切さを学んだのです。

年月を経て、ようやくこの下天のことを知りました。下天とは仏教の世界の天上界における最も人間に近い化天のことだそうです。その化天は8,000歳を生きるのです。「敦盛」の一節は、8,000歳も生きられる化天と比べて、わずか50年の寿命の人間の一生は儚いものであることを謳ったものです。
 48歳になって、この一節の意味を知りました。36年前に覚えた一節の意味を50歳になる直前の今、知ることができたことを嬉しく思っています。小学校六年生、12歳の時には50歳などは夢のまた夢でした。50歳も生きられたら人生は本望ではないのかと思っていた記憶がありますが、中々そうではありません。
 50歳近くになっても、やり遂げられたことは殆どないのです。いまの段階で、夢幻の如くなりとなれば、人生は何だったのかと天上界で思っていることでしょう。そのことを思っても人生は帰らないことが分かっていますから後悔だけが残りそうです。
 織田信長は戦乱の時代を全速力で駆け抜けた英雄ですから、50歳を前にして本能寺で命が果てたとしても後悔は少なかったと思います。「国取り物語」の場面にあったように、燃えたぎる炎の中で「敦盛」を舞ったかどうか分かりませんが、挑戦し続けた日々を思い返していたのだと思います。
挑戦する日々がたくさんある方が良い人生だったと言えると思います。挑戦すると次々に事件が襲ってきます。挑戦する分野に応じて、本来なら出会う筈のなかった人にも出会いますし、新しい出来事にも遭遇します。日々は基本的に同じことを繰り返しますが、その中に小さな異質なことを取り入れることが成長なのです。
日々の中で挑戦し続けなければ、昔は夢幻の世界であった50歳を超えても変化は訪れません。いまだと昔の50年は80年に相当するように思いますから、50年で終わりが近づいているという感覚はありません。しかし人生の50年は、もう若くないという区切りの年齢です。もう若くない50歳以降をどう生きるのか。50歳を前に逝った織田信長は教えてくれません。「国取り物語」の先にあるもの。それは意思を持って生きること。そしてその意思を引き継いでくれる後継者を育てておくことだと思います。
 いよいよ人生のピークに上って行く年齢に差し掛かります。人生が50年で終わるとしたら、この先、一体何を選択するのだろうか。そんなことを考えながらも、答えを見出せない地上にいます。下天と比べて遥かに小さい生命ですから、後悔のない選択をしたいものです。


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