勉強は何故しなければならないのか。子どもからそんな問いがありました。答える大人によって答えは様々だと思います。
ひとつの答えは、「大人であれば誰でも知っている最低限の知識を得るため」だと答えます。会話を交わす際に一方にその知識がなければ、都度説明しなければならないため、物事が前に進まないのです。それでは信頼関係を築くことはできませんから、同じレベルに高めておく必要があるのです。そのため高いレベルで仕事をしようと思ったら、勉強によって高い知識を得ておくことが必要となります。
日本で暮らす人が、最低限知っておかなければならない知識を得ることが勉強をする意味です。
ところでこの勉強の範囲は広がってきています。今までは日本国内だけで通用する勉強をしていれば良かったのですが、今からは世界で対等に仕事ができる人材が求められていますから、世界を相手にするための勉強が必要になっています。
今まで以上に勉強力が大事になっているのです。子ども達にとっては大変なことですが、私達の世代と違って世界が相手ですから、勉強にしっかりと励んで欲しいのです。
おもしろい話があります。
ある方が、机や椅子の角に足を良くぶつけるようになったそうです。周囲の人からは不注意を指摘されたり、慌てているからだと言われていました。
勿論、本人はぶつけている理由は分かっていました。
ある時、東京で仕事をしている時に同じようにデスクに足をぶつけたそうです。
その瞬間、数人の人から同時に「あなた緑内障の気があるでしょう」と指摘を受けたのです。
そうです。緑内障の気があり視野が狭まっていたのです。そのことを指摘されたことを嬉しく思ったそうです。「ここが同じように仕事ができる人達が集まっている」と。
同じ知識レベルを有している人との仕事が、自分をこれまで以上に高めてくれることになるのです。机に頻繁に足を当てることが目に関係しているという医学知識と、咄嗟の事象からそのことを峻別できる相手が、仕事のパートナーだと思ったそうです。
その企画は斬新なアイデアとイメージを訴えるものになり、業界から評価を得たことは言うまでもありません。
つまりある程度の知識を共有しているメンバーで仕事をすることが、仕事で成果を発揮できるのです。社会で仕事をするための最低限のラインを揃えるのが勉強です。
勉強は何故しなければならないのか。社会で仕事ができ、社会で通用する人間になるためです。社会で通用しなければならない理由は、人間は社会で生きているからです。社会で生きている限りは、社会で生きるための最低限の知識を習得しておくべきなのです。
ですから勉強は子ども達だけがするものではなくて、大人も仕事のレベルに応じてすべきものなのです。
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