747.正しい死に方
・一期一会。あまりにも有名なお茶の世界の言葉です。この言葉の意味を教えてもらいました。今までは、この人に会うのは今日で最後かも知れないので、しっかりと接することを意味していると思っていました。ところがそうではないようなのです。

 本当の意味は次のようなものです。友人や家族など、いつも会っている人に対しては、また明日も会えると思っていますし、一年後も恐らく会えると思って接しています。ところが明日のことは誰にも分かりませんから、明日も会えるという保障はないのです。ですから、今日も会っている親しい人に対しては、今日会うのがこの世で最後になるかも知れないとの思いをもって接する心構えのことを一期一会というのだそうです。

 毎日会っていたり、いつでも会えると思っていると、当たり前になってしまい、友人や家族へ感謝の念を忘れてしまいます。親しい人にこそ、生涯最後の日にこの人と一緒にいると思って接することが大切なのです。

 改めて一期一会の言葉をかみ締めたいものです。

・正しい死に方というものがあります。生きていることと死ぬことは一体だということが分かります。人は生まれた時には、自分は泣いていますが、泣いているわが子を取り囲む周囲の人たちはみんな笑顔です。本人が泣いて周囲が笑っているのが生まれた時の状況です。

 死ぬ時はこの反対です。本人は死の瞬間は「良い人生だった」と笑っているのに対して、周囲の人が泣いている状況。これが正しい死の迎え方です。自分で後悔なく生き切ったと思っていると微笑んでこの世を去れると聞きました。そんな本人を前にして周りの人たちは「まだまだ世の中に必要な人なのに」、「大切な人を失った」を言ってくれることが最高の生き方であり死に方なのです。

 少なくとも「死んでくれて清々した」だとか、お参りにも行きたくないといわれないような人との付き合い方をしておきたいものです。

 アメリカの墓標には、その人を表す言葉が刻まれています。「○○を成し遂げた偉大の人、ここに眠る」だとか「誰に対しても優しくて慕われていた人生でした」などの、その人の人生を表す言葉です。幸い、日本のお墓にはそんな言葉が刻まれませんから、どんな人生を過ごしたか分かる余地はありません。しかし自分の人生を一言で表されるのは怖いことです。いま、自分で自分の墓標に刻む言葉を考えてみると、その怖さが分かります。何も思い浮かばないのでは何も成し遂げていないのです。ぴったりと来るような良い言葉が見つからないと、本物の行動をしていないからです。自分の生き様にぴったりはまるような言葉が見つかると、その人は良い生き方をしています。恐らくその言葉通りの人生を生きられるのです。

 生前にお墓を購入することがありますが、それと同時に墓標に刻む言葉も自分で考えておくと生き方が変わりそうです。死ぬ時に「しまった」と思わないためにも。

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